まだ会社だ。(PM9:20)今日も、結構仕事するじゃん、俺♪(自画自賛)
たまには真面目な事を書こうと思う。
何日か前、朝の通勤電車内でこんな事があった。
電車に乗ると、既に車イスに乗った男性が車内にいた。まだ社内にはそれほど人が乗っていなかったので、僕は電車に乗る事にした。次の次の駅くらいだったか、もう一人車イスに乗った男性が乗ってきた。その人をAさんと呼ぶ事にする。Aさんは乗車を手伝ってくれる駅員さんに「ありがとう!」と大きな声でお礼を言っていた。車内はその時もう結構な混雑になっていた。また2駅程先に着くと、先に乗っていた車イスの男性が電車を降りようとした。Aさんは混雑した車内でも出来るだけ降車に邪魔にならないように車イスを動かしながら、「大丈夫?降りれる?邪魔にならない?」と気を遣って語りかけていた。そして先に乗っていた男性が降車すると、電車内の奥に入ってきた。ちょうど僕の斜め後ろ位の位置だった。
それから混雑はいつものごとく増していく。駅に着く毎に、ある意味お構いなしに乗客は乗ってくる。中に車イスのAさんがいる事は見えない。すると、僕の横の辺りで、ちょっとしたイザコザが始まった。乗客に押されてAさんの車イスに足元を少しとられ倒れそうになった若い男性が、社内の中ほどにある手摺を握ろうとしたので、その手が顔の辺りに来た別の大柄な男性が大きな声を出したのだ。
「おい、手が邪魔だよ!手摺なんか持つなよ!」
「すみません。でも手摺を持たないと倒れるので。」
「倒れねーよ!ちゃんと立ってろよ!」
「。。。いや、無理ですね。。。」
車イスに足をとられて手摺を持つ人。
その状況を知らず、自分の顔の横の腕にいらだつ人。
その状況も詳しくわからない入口付近の乗客。
車内奥でじっと黙っている車イスのAさん。
誰も悪い人はいない。全体の状況が見えず、自分の事を対処しているだけ。
こういう時は、全体が見える位置にいた僕が何かを発言すべきなんだよね。
「いや、この人は足元をとられていて倒れそうなんです。」とか「中に車イスの方がいらっしゃるのであまり無理に乗車しないで下さい。」とか。でも僕はこういう時に声を出せないんだ。弱い自分がもどかしく情けなかった。
Aさんが電車を降りるとき、降車を手伝う駅員さん・降車のために一旦電車を降りる人達・そして車内にいる人達に向かって、乗車時と同じように大きな声で「みんな!ありがとう!」とお礼を言っていた。
僕はAさんがとても心が大きくて強い方に見えた。こういう人になりたいね。
2012年3月8日木曜日
ファンシーフーズ大感謝祭に行ってきた ~戸田応援~
戸田市氷川町にあるファンシーフーズ(株)という食品工場が『大感謝祭』を定期的に開催します。ファンシーフーズとは、大手メーカーに洋菓子を卸している会社だそうですが、その大感謝祭を我が家は毎回楽しみにしています。
3月3日に開催されました。
焼きたてパンやパンケーキ・レトルト食品や冷凍ピザなどが販売されていて、それらが結構美味しいのです。また、焼きそばやフランクフルトなどの出店もあり、小さい会場ながら毎回たくさんの人で賑わいます。今回も何だかんだで約3000円ほどの買い物をしたように思います。ついつい買っちゃうんだよね。
3月3日に開催されました。
焼きたてパンやパンケーキ・レトルト食品や冷凍ピザなどが販売されていて、それらが結構美味しいのです。また、焼きそばやフランクフルトなどの出店もあり、小さい会場ながら毎回たくさんの人で賑わいます。今回も何だかんだで約3000円ほどの買い物をしたように思います。ついつい買っちゃうんだよね。
ほんの少しだけだけれど、これも地元企業への応援かな?なんて。
この後僕以外の家族3人(かみさんと子供2人)は、大学合格した姪っ子のお祝いに群馬に帰省したのでした。僕は愛犬とともに次の日の野球の為に家に残ったのでした。
2011年12月9日金曜日
戸田市コンセール・ルネッサ吹奏楽団ファミリーコンサート
今月4日(日曜日)に、戸田市勤労福祉会館にて戸田市の主催でルネッサ吹奏楽団のファミリーコンサートが開催されました。この楽団にはウチのかみさんもトロンボーンで参加しており、2人の子供も練習時にいろいろとお世話になっています。今年は昨年以上にお客さんも多く、立ち見が出るほど盛況でした。地道な活動が認知されつつあるのでしょうね。今年は東日本大震災もあり、音楽で心を和らげたい気持ちも今まで以上に強くなっているのではないでしょうか?
確かに音楽は災害の痛みの前には無力かもしれません。しかし心を繋ぐものの一つとして音楽が愛されれば、それはそれで価値がある事ではないでしょうか?
今年は練習時間も例年より短かったでしょうから、今年の演奏の上達ぶりには心打たれました。
ちなみに僕はアンコールの演奏「祭り」で旗を振り、神輿を担ぐお手伝いをさせてもらいました。こういうのも久しぶりなので、楽しかったです。
確かに音楽は災害の痛みの前には無力かもしれません。しかし心を繋ぐものの一つとして音楽が愛されれば、それはそれで価値がある事ではないでしょうか?
今年は練習時間も例年より短かったでしょうから、今年の演奏の上達ぶりには心打たれました。
ちなみに僕はアンコールの演奏「祭り」で旗を振り、神輿を担ぐお手伝いをさせてもらいました。こういうのも久しぶりなので、楽しかったです。
2011年11月22日火曜日
チャリティおにぎり
僕の家の最寄駅 戸田公園の駅前で、ときどき飲食店の若い店員さん達が募金を募っている事があります。多分、場所と制服から『魚吉 鳥吉』だと思うのですが、「宜しくお願いしま~す」という元気のいい声が気持よく、僕もわずかながらだけど募金しています。すると必ず袋を渡してくれます。中にはおにぎりが一つ、そしてペットボトルのお茶が入っています。僕は会社でこのおにぎりを食べるんだけど、このおにぎりが炊き込みご飯でできていて、「手作りです」という事を語りかけてくるかのようにアルミホイルで丁寧に包んであって、また旨いんだよね、これが。
募金は戸田市内の保育園・幼稚園の援助金として使用されるとのこと。当然店の宣伝も兼ねているのだろうけど、こういう小さな運動が少しでも広がっていくといいな、なんて思います。
若い店員さんから、今日も「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」と何度も大きな声でお礼をされ、そんなに褒められた額を募金したわけでもないので恥ずかしく逃げるように駅に向かいました。このような若い人達の活動を応援します。大したことはできませんが。
募金は戸田市内の保育園・幼稚園の援助金として使用されるとのこと。当然店の宣伝も兼ねているのだろうけど、こういう小さな運動が少しでも広がっていくといいな、なんて思います。
若い店員さんから、今日も「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」と何度も大きな声でお礼をされ、そんなに褒められた額を募金したわけでもないので恥ずかしく逃げるように駅に向かいました。このような若い人達の活動を応援します。大したことはできませんが。
2011年11月8日火曜日
非効率のススメ
最近、ニュースなどで(地上波TVね)TPPが少し話題になってきた。反対派と賛成派がガチンコで、田中康夫氏はTPP反対派を国会議員過半数にしようと署名に走り、亀井氏は今日野田総理と対談し反対へと説得するらしい。土曜日は反TPPデモが東京の日比谷で大々的に行われ、多くの著名人や政治家がTPP推進に対して反旗を翻した。
僕は、TPPには以前から反対している。理由は日本にメリットを及ぼさないから。実際、日本の輸出は震災直後は落ち込んだがここ最近は逆に伸びてきている。この円高と、震災による工場への影響、また原発事故による放射能での日本製品人気低下のハンディを背負って、である。何と日本は強いのか。貿易赤字になったのは、あくまで原油などの需要が原発停止により増加したためとの事。だからTPP推進派の「乗り遅れるな」という言説は適切ではない。十分に乗っているためである。むしろ郵政の時のように、日本の金融資産や公的医療制度などの「公的な日本固有の財産」に手を付けられる怖れの方が強い。
しかし、最近僕は「TPPに参加しても、何とかなるのではないか?」と思い始めている。日本は日本の財産を放棄するような条約に乗るほど馬鹿とは思わないし、農業は明らかに改革が必要だし、何といっても「TPPはアメリカの戦略」とは思えないのだ。アメリカは今一枚岩ではないよ。Occupy WallStreetでも明らかなように、アメリカの9割は苦しんでいるのだから。TPPはアメリカの名を借りた一部の資本利権家の戦略だろう。しかし今やアメリカもEUも経済は行き詰っている。アメリカこそスタンダードなどという過去の幻想は通用しない。一部の資本家も、「富は分かち合うべきだ」と発言し始めている。ジョージソロス氏などがそうだ。世界的に経済がうまく回っていない現状で、更に富が1極化するような戦略が国際的に認められるだろうか?それこそ合理的ではない。
。。。なーんて考えながら、考えがまとまらない。日本だって東北を今は全力で支援すべきで、TPPなんて「そんなもん構ってられん!」という状況だもんね。だからTPPは、今は参加すべきではないよなぁ。。。でも、TPPに参加しなくても、「TPP的思想家」は日本にうじゃうじゃいるよ。俺が金持ちになりゃそれでいい、みたいな。そっちの方が問題じゃないかね?。。。それに、アメリカが困っている今こそ支援すべきではないかとも思うな。。。やはり考えがまとまらないよ。
そんな事を考えながら、思いついた事だけでも淡々と書き連ねようと思います。
僕は農業は絶対改革すべきと思います。それは、「単なる自営から産業・企業への転身」だ。僕の妻の実家が梨農家だから近所の農家の状況なども少し見えるけど、専業農家は多いです。しかも60歳を軽く超える高齢者で、しかも実家で営んでいるのに後継ぎがいない農家が多いですよ。このままじゃ間違いなく農業は減少します。これが耕作放棄地の増加に繋がっているのです。しかも土地を手放す事を嫌がるから、企業ややる気のある若者も中々参入できないのではないですかね?なので国が適正価格で後継ぎがいなく続けられなくなった土地を買い取る事もうまく推進すべきと思います。
しかし、農業問題によく言われる「効率化」だの「大型化」だのの言説には「この人たちはわかってないな(T_T)」と思わざるをえない。やってみりゃわかる。どれだけ重労働か。どれだけ非効率か。機械化して効率重視したら、美味しさは維持できるのかい?食の安全は確保できるのかい?農薬を極力使わないようにして、手作業で虫の駆除や雑草除去や土おこしを行うんだよ?梨なんて一年中ほとんど休みなし。しかし、だからこそ他国に負けない美味しさを日本は生んでいるんじゃないのかね?ラーメンスープを試行錯誤で模索しながら非効率に探究するラーメン職人と同じだよ。企業が続々と撤退する理由は何となくわかる。短期での収支が見込めないからだ。思ったほど効率化できないし、自然災害や技術伝達不足で収穫が思ったほど見込めないからだろうよ。
でも安全保障上、食糧自給率は重要だ。だからこそこの非効率産業を国が保障すべきで、基本的には民主党の農家個別保障は正しいと思います。問題は兼業農家やほとんど農業を営んでいないなんちゃって農家にも保障している事。だから自民党の連中に「バラマキ」なんて揶揄されるのだ。奴らは減反政策などという行為で代りにお金をばら撒いていたにも関わらず。くだらない政局はもうどうでもいいので、前向きな政策を議論してちょうだいな。
最後に一言。
「効率化?それは非効率に解を探求して求めた後の模倣行為だ。そんな考えで他にない新しいものが生まれるわけないだろ、ボケ!!」
僕は、TPPには以前から反対している。理由は日本にメリットを及ぼさないから。実際、日本の輸出は震災直後は落ち込んだがここ最近は逆に伸びてきている。この円高と、震災による工場への影響、また原発事故による放射能での日本製品人気低下のハンディを背負って、である。何と日本は強いのか。貿易赤字になったのは、あくまで原油などの需要が原発停止により増加したためとの事。だからTPP推進派の「乗り遅れるな」という言説は適切ではない。十分に乗っているためである。むしろ郵政の時のように、日本の金融資産や公的医療制度などの「公的な日本固有の財産」に手を付けられる怖れの方が強い。
しかし、最近僕は「TPPに参加しても、何とかなるのではないか?」と思い始めている。日本は日本の財産を放棄するような条約に乗るほど馬鹿とは思わないし、農業は明らかに改革が必要だし、何といっても「TPPはアメリカの戦略」とは思えないのだ。アメリカは今一枚岩ではないよ。Occupy WallStreetでも明らかなように、アメリカの9割は苦しんでいるのだから。TPPはアメリカの名を借りた一部の資本利権家の戦略だろう。しかし今やアメリカもEUも経済は行き詰っている。アメリカこそスタンダードなどという過去の幻想は通用しない。一部の資本家も、「富は分かち合うべきだ」と発言し始めている。ジョージソロス氏などがそうだ。世界的に経済がうまく回っていない現状で、更に富が1極化するような戦略が国際的に認められるだろうか?それこそ合理的ではない。
。。。なーんて考えながら、考えがまとまらない。日本だって東北を今は全力で支援すべきで、TPPなんて「そんなもん構ってられん!」という状況だもんね。だからTPPは、今は参加すべきではないよなぁ。。。でも、TPPに参加しなくても、「TPP的思想家」は日本にうじゃうじゃいるよ。俺が金持ちになりゃそれでいい、みたいな。そっちの方が問題じゃないかね?。。。それに、アメリカが困っている今こそ支援すべきではないかとも思うな。。。やはり考えがまとまらないよ。
そんな事を考えながら、思いついた事だけでも淡々と書き連ねようと思います。
僕は農業は絶対改革すべきと思います。それは、「単なる自営から産業・企業への転身」だ。僕の妻の実家が梨農家だから近所の農家の状況なども少し見えるけど、専業農家は多いです。しかも60歳を軽く超える高齢者で、しかも実家で営んでいるのに後継ぎがいない農家が多いですよ。このままじゃ間違いなく農業は減少します。これが耕作放棄地の増加に繋がっているのです。しかも土地を手放す事を嫌がるから、企業ややる気のある若者も中々参入できないのではないですかね?なので国が適正価格で後継ぎがいなく続けられなくなった土地を買い取る事もうまく推進すべきと思います。
しかし、農業問題によく言われる「効率化」だの「大型化」だのの言説には「この人たちはわかってないな(T_T)」と思わざるをえない。やってみりゃわかる。どれだけ重労働か。どれだけ非効率か。機械化して効率重視したら、美味しさは維持できるのかい?食の安全は確保できるのかい?農薬を極力使わないようにして、手作業で虫の駆除や雑草除去や土おこしを行うんだよ?梨なんて一年中ほとんど休みなし。しかし、だからこそ他国に負けない美味しさを日本は生んでいるんじゃないのかね?ラーメンスープを試行錯誤で模索しながら非効率に探究するラーメン職人と同じだよ。企業が続々と撤退する理由は何となくわかる。短期での収支が見込めないからだ。思ったほど効率化できないし、自然災害や技術伝達不足で収穫が思ったほど見込めないからだろうよ。
でも安全保障上、食糧自給率は重要だ。だからこそこの非効率産業を国が保障すべきで、基本的には民主党の農家個別保障は正しいと思います。問題は兼業農家やほとんど農業を営んでいないなんちゃって農家にも保障している事。だから自民党の連中に「バラマキ」なんて揶揄されるのだ。奴らは減反政策などという行為で代りにお金をばら撒いていたにも関わらず。くだらない政局はもうどうでもいいので、前向きな政策を議論してちょうだいな。
最後に一言。
「効率化?それは非効率に解を探求して求めた後の模倣行為だ。そんな考えで他にない新しいものが生まれるわけないだろ、ボケ!!」
2011年10月19日水曜日
飲食店にて感じた日本の底力
今日、ニュースで中国がアメリカ国債を大量に手放したと報じていた。これ、結構大きな影響を世界的に及ぼしそうな気がするな。今後の報道を注目しておこう。
最近、昼食で外食する事が多い。今まで弁当が多かったので、外食店に行って食べると「へぇ~」と感心する事が多い。
今日は、JR大森駅北口にある、「きょうきそば」という立ち食い蕎麦屋に行った。看板で出ていた『ハラミ丼』に目が止まったからだ。別になんていうことはない、タレを付けたハラミを焼いてご飯の上に乗せた丼なんだけど、ごま油であえたモヤシが添えてあって、そのコンビが中々の味を出していた。500円。十分満足したよ。
この繊細さと、色々な味を磨きながら組み合わせる研究心は「日本独自の底力」だと思うのは僕だけかな?コラボレートの妙を感じるんだよね。まさに『物作り日本』だと思うよ。今は、飲食店は決して景気が良いとは思えない。でも薄利多売の長時間労働に耐えながら、なおかつ新しい何かを生み出そうとする探究心と真面目さが日本を支えているんだよね。
僕はTPPなんて反対だけど(そもそも貿易黒字国:日本には不必要だと思う)、しかしこの底力さえあれば、TPP?アメリカ産業?ナンボのもんじゃ!と思います。僕も頑張らなきゃ。負けていられません。
最近、昼食で外食する事が多い。今まで弁当が多かったので、外食店に行って食べると「へぇ~」と感心する事が多い。
今日は、JR大森駅北口にある、「きょうきそば」という立ち食い蕎麦屋に行った。看板で出ていた『ハラミ丼』に目が止まったからだ。別になんていうことはない、タレを付けたハラミを焼いてご飯の上に乗せた丼なんだけど、ごま油であえたモヤシが添えてあって、そのコンビが中々の味を出していた。500円。十分満足したよ。
昨日は、やはり駅構内のラーメン屋「斗樹らぁめん」で食べた。ネギと焼いたニンニク油を添えた豚骨ラーメンを食べた。これも旨かった。別に大したものが入っているわけでもない。でも、組み合わせの妙と、一つ一つの味の繊細さを感じるのだ。
この繊細さと、色々な味を磨きながら組み合わせる研究心は「日本独自の底力」だと思うのは僕だけかな?コラボレートの妙を感じるんだよね。まさに『物作り日本』だと思うよ。今は、飲食店は決して景気が良いとは思えない。でも薄利多売の長時間労働に耐えながら、なおかつ新しい何かを生み出そうとする探究心と真面目さが日本を支えているんだよね。
僕はTPPなんて反対だけど(そもそも貿易黒字国:日本には不必要だと思う)、しかしこの底力さえあれば、TPP?アメリカ産業?ナンボのもんじゃ!と思います。僕も頑張らなきゃ。負けていられません。
何が問題なのか?
久しぶりに真面目な話でも書こうかな。
今日、昼休みにYoutubeでこんな番組を観ていた。まだ全部観てないけど、何だか観ていてがっかりした。
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 1/3
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 2/3
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 3/3
何にガッカリしたかって、こんな悲惨な事故を起こしたにも関わらず、未だに独占体制を改めようとしない東京電力の企業体制に対してである。きちんと現実を顧みて、心入れ替えて欲しい。
しかし、だからと言って東京電力を思い切り叩こうという気にならない。何故なんだろう?きっとそれは、多くの社員は真面目で実直に仕事に邁進しているのだろうという思いからだ。つまりは汚れているのは会社員の一部だろうと想像できるから。だってこんなマインドの人達って巷に結構見かけるからね。
・金の事しか頭にないんじゃないかと思える人。
・初対面にも関わらず横柄に命令口調で上から言ってくるオッサン。
・人に迷惑かけても謝らない人。
・過去にお世話になったからという理由で、間違っている事をしている人にNOを言えない、恩義と道理を混同している人。
などなどなど。
問題はそこだと思うわけだ。だってさ、別に悪い事じゃないんだよ?独占って。綺麗事かもしれないけど。でもその独占や自分の地位に勘違いしちゃう心がいけないわけよ。実際、独占的な地方企業の中にだって社員も上層部の理念も立派な会社はあるからさ。
それに、古賀さんの語っているように、大幅な改革が良い結果をもたらすかというと、あまりそうとも思えないのです。物事は少しずつしか変わらないと思うし、必ず傷を負う人が出てくる。それに一線で頑張っている人達にはそれ相応の待遇もあってしかるべきと思いますよ。
「日本は国家財政と個人・企業資本を合算すると黒字なのに、1000万人以上の年収100万円台の人がいて、まともに仕事にありつけない人がいて、それなのに安い外国人労働力を大量採用しているという、富を国民で分かち合おうとしない現状と愛国心の無さ」が問題なんだよ。
その問題を解消するためにムダを削減したり増税再配分したりをすべきだという議論に行きつくわけで。そうでないと、結局のところ言う方も言われる方も納得しない。それに自分の行動だって褒められた事ばかりではないのだから、自分を戒める事こそが大切ではないのかね?
今日、久しぶりにTwitterで「おお!」と思ったツイートを見かけたよ。思わずリツイートした。
『@RyuichiSato
格差と若者の非活動性について(内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/ いい文章を読んだ。「能力のある人間が抜擢され、無能な人間が冷遇されるのは当たり前」という格差を生み出す発想が、なぜ間違っているのか。』
人間は1人じゃ生きていけないんだよ。その事を忘れてはいけない。そこが原点であるべきなんだと思うな。そこを踏み外さない限り、いろいろな解決策が見いだせるはずだよ。
アメリカではウォールストリートデモが続いている。凄い時代になった。世界的に「共存」がテーマになっている。日本も立ち上がるべきだね。
今日、昼休みにYoutubeでこんな番組を観ていた。まだ全部観てないけど、何だか観ていてがっかりした。
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 1/3
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 2/3
ニュースの深層 古賀茂明氏出演 3/3
何にガッカリしたかって、こんな悲惨な事故を起こしたにも関わらず、未だに独占体制を改めようとしない東京電力の企業体制に対してである。きちんと現実を顧みて、心入れ替えて欲しい。
しかし、だからと言って東京電力を思い切り叩こうという気にならない。何故なんだろう?きっとそれは、多くの社員は真面目で実直に仕事に邁進しているのだろうという思いからだ。つまりは汚れているのは会社員の一部だろうと想像できるから。だってこんなマインドの人達って巷に結構見かけるからね。
・金の事しか頭にないんじゃないかと思える人。
・初対面にも関わらず横柄に命令口調で上から言ってくるオッサン。
・人に迷惑かけても謝らない人。
・過去にお世話になったからという理由で、間違っている事をしている人にNOを言えない、恩義と道理を混同している人。
などなどなど。
問題はそこだと思うわけだ。だってさ、別に悪い事じゃないんだよ?独占って。綺麗事かもしれないけど。でもその独占や自分の地位に勘違いしちゃう心がいけないわけよ。実際、独占的な地方企業の中にだって社員も上層部の理念も立派な会社はあるからさ。
それに、古賀さんの語っているように、大幅な改革が良い結果をもたらすかというと、あまりそうとも思えないのです。物事は少しずつしか変わらないと思うし、必ず傷を負う人が出てくる。それに一線で頑張っている人達にはそれ相応の待遇もあってしかるべきと思いますよ。
「日本は国家財政と個人・企業資本を合算すると黒字なのに、1000万人以上の年収100万円台の人がいて、まともに仕事にありつけない人がいて、それなのに安い外国人労働力を大量採用しているという、富を国民で分かち合おうとしない現状と愛国心の無さ」が問題なんだよ。
その問題を解消するためにムダを削減したり増税再配分したりをすべきだという議論に行きつくわけで。そうでないと、結局のところ言う方も言われる方も納得しない。それに自分の行動だって褒められた事ばかりではないのだから、自分を戒める事こそが大切ではないのかね?
今日、久しぶりにTwitterで「おお!」と思ったツイートを見かけたよ。思わずリツイートした。
『@RyuichiSato
格差と若者の非活動性について(内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/ いい文章を読んだ。「能力のある人間が抜擢され、無能な人間が冷遇されるのは当たり前」という格差を生み出す発想が、なぜ間違っているのか。』
人間は1人じゃ生きていけないんだよ。その事を忘れてはいけない。そこが原点であるべきなんだと思うな。そこを踏み外さない限り、いろいろな解決策が見いだせるはずだよ。
アメリカではウォールストリートデモが続いている。凄い時代になった。世界的に「共存」がテーマになっている。日本も立ち上がるべきだね。
2011年8月26日金曜日
実は人間の幸せって、些細な事で満たされるのではないだろうか?
いきなり哲学的になった。でも最近、ふとそんな事を思ったりするのです。それは今年の5月に義兄と話をした時の義兄の言葉が強く印象に残っているからです。
義兄は乗馬場を経営しており、馬の売買で全国フットワーク良く飛び回っている。乗馬はヨーロッパが盛んなようで(発祥の地なのかな?知らないがorz)年に1,2回ヨーロッパにも行く。いろいろ話しているうちに、ドイツでの経験談をいきなり話し始めた。
「乗馬の大会が行われたので観に行ったんだよ。ある騎手が好きでね。その騎手を応援していたんだよ。結構業界では有名な選手なのよ。ところがさぁ、その選手が落馬して失格になっちゃった訳だ。大会を見終わった後、隣で観戦していた人に話しかけてみたのよ。『○○選手、失格して残念でしたねぇ』そうしたら、その人何て言うかと思ったら『○○?知らない。選手の事は別に興味がない。私はただ単に乗馬という競技を観に来たんだ』と。ビックリしたよ。ドイツの人って割とそういう人が多いんだよ。要するに、何が流行っているとか、何が有名だとかあまり気にしないのよ。話をしていてもそういう発言が多いよ。『自分が今研究している事が少し理解できたので嬉しかった』とかさ。人にどう思われているとか気にしていないみたい。普段の休日の過ごし方もおとなしい人が多いよ。自分の家でゆったり過ごす人がね。別に旅行とか頻繁に行かないみたいだし。」
当然国民性もあるのだろうけど、何だか少し共感したな。僕も人からどう思われているとかあまり気にしなくなったし、どこか有名な場所に遊びに行こうとか以前より思わなくなったから。昔は違ったよ。流行りはチェックしないといけないとばかりに追っていたし、東京大好き・レジャー施設大好き・派手な遊び大好き♪って感じだったね。必ず会話ではギャグで落とさないといけないかのような使命感(笑)もあったし、人から注目を浴びたいから人の反応も気になっていたもんな。だからいつも焦燥感があった。うまく言えないけど。まぁ「大人になった」と言ってしまえばそれまでだけど、今毎日が楽しいもんね。別に何か楽しいことを見つけようなんて努力はしてないよ。家族と一緒にいたり、本を読んだり、散歩しながら周りの風景を見たり、自分なりに仕事したり。飲み会や旅行も当然好きだけど、”たまに”で十分だもんな。そんな行事より、もっと日常の些細なことへの楽しさを知ったのかな。
幸せって、こういう事なんじゃないかなって思う。別にお金持ちになりたいとも思わないし、何か物に満たされていたいとも思わない。普通に地道な生活が営めればいい。毎日の積み重ねの中で、自分が変わっていく姿を自分で感じる事自体が楽しい。こういう幸せを多くの人が分かち合える事が平和に繋がっていくんだと思うね。貧困や格差は無くしていかないといけないね。
義兄は乗馬場を経営しており、馬の売買で全国フットワーク良く飛び回っている。乗馬はヨーロッパが盛んなようで(発祥の地なのかな?知らないがorz)年に1,2回ヨーロッパにも行く。いろいろ話しているうちに、ドイツでの経験談をいきなり話し始めた。
「乗馬の大会が行われたので観に行ったんだよ。ある騎手が好きでね。その騎手を応援していたんだよ。結構業界では有名な選手なのよ。ところがさぁ、その選手が落馬して失格になっちゃった訳だ。大会を見終わった後、隣で観戦していた人に話しかけてみたのよ。『○○選手、失格して残念でしたねぇ』そうしたら、その人何て言うかと思ったら『○○?知らない。選手の事は別に興味がない。私はただ単に乗馬という競技を観に来たんだ』と。ビックリしたよ。ドイツの人って割とそういう人が多いんだよ。要するに、何が流行っているとか、何が有名だとかあまり気にしないのよ。話をしていてもそういう発言が多いよ。『自分が今研究している事が少し理解できたので嬉しかった』とかさ。人にどう思われているとか気にしていないみたい。普段の休日の過ごし方もおとなしい人が多いよ。自分の家でゆったり過ごす人がね。別に旅行とか頻繁に行かないみたいだし。」
当然国民性もあるのだろうけど、何だか少し共感したな。僕も人からどう思われているとかあまり気にしなくなったし、どこか有名な場所に遊びに行こうとか以前より思わなくなったから。昔は違ったよ。流行りはチェックしないといけないとばかりに追っていたし、東京大好き・レジャー施設大好き・派手な遊び大好き♪って感じだったね。必ず会話ではギャグで落とさないといけないかのような使命感(笑)もあったし、人から注目を浴びたいから人の反応も気になっていたもんな。だからいつも焦燥感があった。うまく言えないけど。まぁ「大人になった」と言ってしまえばそれまでだけど、今毎日が楽しいもんね。別に何か楽しいことを見つけようなんて努力はしてないよ。家族と一緒にいたり、本を読んだり、散歩しながら周りの風景を見たり、自分なりに仕事したり。飲み会や旅行も当然好きだけど、”たまに”で十分だもんな。そんな行事より、もっと日常の些細なことへの楽しさを知ったのかな。
幸せって、こういう事なんじゃないかなって思う。別にお金持ちになりたいとも思わないし、何か物に満たされていたいとも思わない。普通に地道な生活が営めればいい。毎日の積み重ねの中で、自分が変わっていく姿を自分で感じる事自体が楽しい。こういう幸せを多くの人が分かち合える事が平和に繋がっていくんだと思うね。貧困や格差は無くしていかないといけないね。
2011年8月24日水曜日
臭い物には蓋をする国・ニッポン
今夜、ニュースで芸能人の島田紳助さんが芸能界を急遽引退するというニュースが入った。何でも平成17年から19年の間に暴力団関係者と接触があり、4,5回実際に会った事がメールで判明した事が原因だそうな。いや、島田紳助さんの事は正直言って好意的に思っていなかった僕にとってはどうでもいい話なのだが、誰だって「何故今になって数年前の事を問題視するの?」と思うわなぁ。「きっと他に何かあるのだろう...」と勘繰りたくもなる。だって説明つかないんだもん。まぁ1月もあればこの話題もなかったかのように忘れ去られ風化されるのだろうけどね。
今回のニュースを見て、僕は少し前にあった「まんべくんTwitter事件」を思い出した。
******************************************
まんべくんツイッター中止 戦争巡る発言に批判 北海道
北海道長万部町は、町の公式キャラクター「まんべくん」の戦争に関するツイッター発言をめぐり、抗議が殺到しているため、ツイッターへの書き込みを委託している業者に対し、ツイッターの中止を指示し、16日に町のホームページ(HP)におわびを載せた。
町総務課によると、まんべくんの商標使用を許可している札幌市のコンサルティング会社の社長(29)が、終戦記念日の前日の14日、ツイッターで「日本の犠牲者310万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数2千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」と発言した。これに対し、「町の公式見解なのか」といった抗議のメールや電話が500件以上寄せられた。
町はHPに白井捷一町長名で「町の公式発言ではないが、町のキャラクターである『まんべくん』の発言であり、皆様にご心配、ご迷惑をかけ、深くおわびします」と掲載。業者の使用許諾権を禁止し、ツイッターの中止を指示した。
同課は「政治や宗教などについては注意するよう指導していた。町の公式見解ではないが、町の公式キャラクターがお騒がせした責任を取った」と話した。
まんべくんは2003年に誕生。昨年10月からツイッターで発言を始め、公式キャラクターらしくない毒舌ぶりが人気を集めて、フォロワー(読者)の数は8万人を超えていた。
(asahi.com)
******************************************
たかがマスコットキャラクターだよ???別に町長本人が言ったわけではない。それに責任取ってやめるような話かい?過去の戦争に対して個人的見解を述べたに過ぎないじゃないか。僕は過去の戦争の経緯をまんべくん程知らないから、むしろまんべくんが堂々と発言した事に対して内容云々ではなく敬意を称するけどね。これをきっかけに日本全体で過去の戦争の歴史を総括すべきなんじゃないのかねぇ?靖国神社に祭られている戦死者の方々の事も、今や明らかになった原発と核保有の関係も。でも議論する前にやめちゃうからね、日本の多くの場合。それにさぁ、「責任取ってやめる」ってよく聞くけど、やめる事って責任取る事に本当に繋がるのかね?昔から疑問なんだけどさ。僕は責任取るっていうのは『事の顛末を見るまで最後まで対処する。ケツを拭く』事だと思うよ。やめるのはその後の話だろ。そもそも犯罪を犯した訳ではない。島田紳助さんも同様だよ。
結局は「まぁまぁ、ここは事を穏便に」って話になっちゃうんだよね。これじゃあまた同じ事を繰り返したり、物事を曖昧に過ごして結論を先延ばしする事になる。これでいいのかなぁ。僕は子供に説明できないけどね。
今回のニュースを見て、僕は少し前にあった「まんべくんTwitter事件」を思い出した。
******************************************
まんべくんツイッター中止 戦争巡る発言に批判 北海道
北海道長万部町は、町の公式キャラクター「まんべくん」の戦争に関するツイッター発言をめぐり、抗議が殺到しているため、ツイッターへの書き込みを委託している業者に対し、ツイッターの中止を指示し、16日に町のホームページ(HP)におわびを載せた。
町総務課によると、まんべくんの商標使用を許可している札幌市のコンサルティング会社の社長(29)が、終戦記念日の前日の14日、ツイッターで「日本の犠牲者310万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数2千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」と発言した。これに対し、「町の公式見解なのか」といった抗議のメールや電話が500件以上寄せられた。
町はHPに白井捷一町長名で「町の公式発言ではないが、町のキャラクターである『まんべくん』の発言であり、皆様にご心配、ご迷惑をかけ、深くおわびします」と掲載。業者の使用許諾権を禁止し、ツイッターの中止を指示した。
同課は「政治や宗教などについては注意するよう指導していた。町の公式見解ではないが、町の公式キャラクターがお騒がせした責任を取った」と話した。
まんべくんは2003年に誕生。昨年10月からツイッターで発言を始め、公式キャラクターらしくない毒舌ぶりが人気を集めて、フォロワー(読者)の数は8万人を超えていた。
(asahi.com)
******************************************
たかがマスコットキャラクターだよ???別に町長本人が言ったわけではない。それに責任取ってやめるような話かい?過去の戦争に対して個人的見解を述べたに過ぎないじゃないか。僕は過去の戦争の経緯をまんべくん程知らないから、むしろまんべくんが堂々と発言した事に対して内容云々ではなく敬意を称するけどね。これをきっかけに日本全体で過去の戦争の歴史を総括すべきなんじゃないのかねぇ?靖国神社に祭られている戦死者の方々の事も、今や明らかになった原発と核保有の関係も。でも議論する前にやめちゃうからね、日本の多くの場合。それにさぁ、「責任取ってやめる」ってよく聞くけど、やめる事って責任取る事に本当に繋がるのかね?昔から疑問なんだけどさ。僕は責任取るっていうのは『事の顛末を見るまで最後まで対処する。ケツを拭く』事だと思うよ。やめるのはその後の話だろ。そもそも犯罪を犯した訳ではない。島田紳助さんも同様だよ。
結局は「まぁまぁ、ここは事を穏便に」って話になっちゃうんだよね。これじゃあまた同じ事を繰り返したり、物事を曖昧に過ごして結論を先延ばしする事になる。これでいいのかなぁ。僕は子供に説明できないけどね。
2011年7月30日土曜日
吉原毅さん(城南信用金庫理事長)を支持します!

今年に入ってからのビデオニュス・ドット・コムの放送内容は目を見張るものがある事は以前も書いたけど、今週の(いや先週かw)放送は特にわくわくしながら観ました。福島原発事故が起きて1月も経たないうちに「脱原発」を明確に表明した城南信用金庫の吉原毅さんが出演したからです。僕は吉原さんの脱原発宣言のメッセージをツイッターで知り、YouTubeに挙がっていた動画を観て(OurPlanetTVが撮影したらしい)「民間企業人・しかも金融機関というどちらかと言えば利益追求しがちな業種の理事長さんがここまではっきりと自分の意思を述べることは凄いな」と感心していました。なので吉原さんの人となりを拝見できると観る前から楽しみにしていたのです。そしてその僕の期待を遥かに上回る吉原さんの人格の大きさに共鳴させられました。「こういう企業マンになりたいものだ」と。
僕は今まで信用金庫と銀行は同じようなものだと思っていましたが、吉原さんのお話を聞くとどうも違うみたいですね。Wikipediaにはこう書いていました。
『信用金庫は、1951年6月に制定された信用金庫法にもとづいた、会員の出資による協同組織の地域金融機関である。営業地域は一定の地域に限定されている。中小企業ならびに個人のための専門金融機関。大企業や営業地域外の企業・個人には融資ができないという制限があるが、これは「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」という信用金庫の目的のためである。』
なるほど。でも位置づけは地方銀行とあまり変わらないような。つまり会社の形態はそれほど重要ではなく、要はその企業がどのような理念の下で活動しているかが重要という事ですね。そして今回のビデオニュースの放送の中で彼は同じような発言をしていました。「融資する企業を判断するに当たっては、その企業の財務会計指標は一番最後の判断基準なのです。そのような数値よりも、その経営者の方がどのような経験を積んで、どのような考えで経営を行って、どのような社会的貢献を会社として考えているかが大切ですね。人・物・金という言葉がありますが、金は最後に来る言葉ですから」という類の発言をされていました。お金・利益が先に来るのではなく、企業の努力が社会的貢献をもたらし、その結果として利益がある、というような。そうそう!その通りだと思います。僕は近年の短期的であくまでも利潤・効率を先行視する思考にどうにも違和感を感じていて「そんなものはどうでも良く(暴論かもしれないけど)、あくまで利潤は企業が個人や企業や社会に貢献・還元した結果なんだ」と考えてきたので、僕はきっと民間企業に向かない変わり者人間なんだと思っていたのだが、僕の考え方が民間の市場原理でも十分通用するものなんだとわかって嬉しかったですね。というより周りがどう考えようが自分の理念の方が正しいはずだと自負があるのなら、別に周りに流されずに淡々とその考えを実践すればいいだけの話なんだよね。あぁ、まだまだ僕は自分が弱い。
また吉原さんは脱原発を口だけでなく会社の行動指針にも示した事が素晴らしい。ボランティア休暇の導入や社員の被災地ボランティアのサポート、被災した地域の信金の内定取り消し者の採用、消費者がソーラーパネルやLED照明、蓄電池など節電のための商品を購入する際の、低金利のローンなど、本業でも脱原発・節電を推進している。浜岡原発停止の原告団でもあるらしい。「口だけで実行を伴わないのは気分が良くない」かららしいのだが、いやぁ、凄いよ。というより僕はまだまだ力不足だなぁ。自分が働く会社がこのような会社であってほしい。自分が少しでも変えていかなきゃいけないね。先日会社の飲み会で新しい営業事業部長さんに「会社でボランティア休暇を設立して下さい。あるいは東北に企業として瓦礫撤去に行きましょう。長い目で見たら必ずウチの会社の為になります。」なんて言ったら、キョトンとしていたけど(笑)(でも東北担当の営業だけは賛成してくれたなぁ)でも企業にとって大切なのは売り先のパイを広げる事で、それは一部企業に大資本が偏ることではなく広く中小企業までがうっすらとででもいいので潤う事であり、つまり困っている善意のある企業は助ける事だと思うのですよね。
最後に話題になった脱原発宣言のビデオを載せておきます。いつまでもこのような素晴らしい企業人がいる事を忘れないように。
2011年7月27日水曜日
雑草って利用できないの?

まぁザクッと検索してみたら、結構同じ事を考えている人も多いようで。。。
先程の散歩の続きにもなるが、土手の道沿いに沢山の雑草が茂っている箇所がある。散歩道だけではなく、家の周りの緑地や空き地にもかなりの量の雑草が生えている。これはいずれ刈り取られるのだが、その行き先はどこなのだろう?肥料などに利用されているならまだしも、単に燃やされているだけならもったないよね。雑草の量はバカにできない程大量だと感じる。単に燃やすだけでも、全国の雑草を利用すればかなりの熱量が生まれると思うんだよね。それこそ再生エネルギーとして発電に利用してはどうか?それでなくても日本は資源のない国なんだからさ。
こんな事考えるきっかけになったのは、実はメダカを家で飼っているからなのだ。もうかれこれ5年は飼っていると思う。あまり綺麗に育てていないので自慢できないのだけど、熱帯魚と違って非常に親近感が生まれます。見た目そんなに可愛いものでもないしね(笑)水槽内に砂利を敷き、水を張ってメダカを住まわせ、水草を植えたりウィローモス(藻のような水草)を石に絡ませたりして緑を置くと、メダカの尿を餌にしてバクテリアが生まれ、メダカの出す二酸化炭素と太陽光で水草は育って光合成より酸素を生み出す。メダカはバクテリアを餌にして育ち、また水草が生んだ酸素を吸う。このような見事なまでの「生命の循環」を見ることが出来るのだ。今では飼っていないが、水槽の藻を取る役目という事で小エビや巻貝を一緒に飼うと、とても可愛いのだ。エビはもう少し涼しくなったら飼おうかと思っています。ちょっと話は逸れたが、つまり地下の資源物を掘削しなくても地上の生命体だけで十分エネルギーや資源の循環は可能だと思うわけだ。水槽内の水草なんてバンバン育つよ。雑草だって生命力や繁殖力は同じレベルだよね。なので雑草を利用しない手はないと思うのだ。別に肥料やエネルギーだけではなく食にだって利用できないのかな?例えば栄養素だけ抽出して栄養剤や保存食にするとか、さ。
そして僕が考える他の有効利用すべき資源は「海水」と「木材」だ。日本は海に囲まれているので海水ならいっぱい恵まれているよ。そして日本は山間地帯も多いので木材だって豊富だ。過剰に伐採しなければ、の話だけどね。今日本は「再生化エネルギー」論議が盛んになってきたので、「雑草」「木材」「海水」などの資源をどのように無駄なく利用するか?という事を真剣に考えてみたらどうでしょうか?
2011年7月20日水曜日
若い力
先日は、なでしこジャパンが世界一という偉業を達成してくれたね。普段はさしてサッカーに興味がない僕だが、月曜日はスポーツニュースをテレビで探し回って観たね。でもサッカーは男女ともに本当に強くなったなぁ。僕はブログ等で前にも若い世代の人達の能力の高さを書いているが、やはり感じるのは彼らはいい意味で自分の専門を持っている事が特徴だと思うね。「広く浅く」ではなく「特定分野に深く」という感じかな。それと何といっても真面目で、そして自分の夢に邁進している人達が多いと感じるなぁ。僕の後輩見ていても思うね。真面目で、僕らの世代のように若い頃に遊び呆けていない。少し生真面目すぎるかな?とも思うけど、純粋だから吸収も早いしね。なので僕もまだまだ負けられないという気持ちになる。そして僕もいつまでも切磋琢磨できる若い気持ちでいられたら、と思います。
先週の土曜日、野球の練習をしました。僕を入れて4人しか集まらなかったけど、4人でも結構まともな練習ができるものだと思いました。その時来てくれたのは6月まで僕と同じ会社で働いていた後輩と、その後輩の小学校からの友人2人。全員25歳。20歳違う若物達と練習をするなんて考えてみると面白いね。でもスポーツには先輩後輩なんてないから、純粋にボール目掛けて動き回りました。初対面の友人2人は、僕の顔を見るなり「今日は宜しくお願いします!」と、握手してきたんだけど、嬉しかったね。「気持ちいい子達だな」って感動しました。本当にスポーツが好きみたいで、「また来ます!」と言ってくれました。良かった、人数が少ないとガッカリしないで。また遊びたいね。
今、東京の大森(品川区)に会社が移ったんだけど、最近ウチの会社にいろいろ話を持ちかけてくれるメーカーさんも偶然大森に事務所があり、先日そこの営業部長さん達と飲み会をしました。その時にその営業部長さん(55歳前後)がこんな話をしてくれました。
「実はウチも人材を探しているんだよ。メンバーが歳とってきたからね。でもウチのトップ連中は、即戦力しか望まないのよ。つまりベテランでこの業界に長くいる人間という事だよ。でもね、僕は若い人達を多く雇って若者に少しでも託す形にしないとダメだと思うんだよね。これから高齢化していく日本にとって、若者は宝なんだよ。でもウチは雇用しないんだよね。多くの会社も何故か即戦力を望むんだよ。僕はその考えはけしからんと思うね。」
このオヤジさんは僕に考えが近いなって思いました。これからの日本は若者が背負うのだから、若者に対してもっと投資しないとダメだよね。気がついたら老人だらけだったという社会が現実になる前に、若者の力の重要さを早く日本全体で気づいてほしいと思う今日この頃でした。
先週の土曜日、野球の練習をしました。僕を入れて4人しか集まらなかったけど、4人でも結構まともな練習ができるものだと思いました。その時来てくれたのは6月まで僕と同じ会社で働いていた後輩と、その後輩の小学校からの友人2人。全員25歳。20歳違う若物達と練習をするなんて考えてみると面白いね。でもスポーツには先輩後輩なんてないから、純粋にボール目掛けて動き回りました。初対面の友人2人は、僕の顔を見るなり「今日は宜しくお願いします!」と、握手してきたんだけど、嬉しかったね。「気持ちいい子達だな」って感動しました。本当にスポーツが好きみたいで、「また来ます!」と言ってくれました。良かった、人数が少ないとガッカリしないで。また遊びたいね。
今、東京の大森(品川区)に会社が移ったんだけど、最近ウチの会社にいろいろ話を持ちかけてくれるメーカーさんも偶然大森に事務所があり、先日そこの営業部長さん達と飲み会をしました。その時にその営業部長さん(55歳前後)がこんな話をしてくれました。
「実はウチも人材を探しているんだよ。メンバーが歳とってきたからね。でもウチのトップ連中は、即戦力しか望まないのよ。つまりベテランでこの業界に長くいる人間という事だよ。でもね、僕は若い人達を多く雇って若者に少しでも託す形にしないとダメだと思うんだよね。これから高齢化していく日本にとって、若者は宝なんだよ。でもウチは雇用しないんだよね。多くの会社も何故か即戦力を望むんだよ。僕はその考えはけしからんと思うね。」
このオヤジさんは僕に考えが近いなって思いました。これからの日本は若者が背負うのだから、若者に対してもっと投資しないとダメだよね。気がついたら老人だらけだったという社会が現実になる前に、若者の力の重要さを早く日本全体で気づいてほしいと思う今日この頃でした。
2011年6月13日月曜日
循環
原発問題について少し書こうと思う。ちょっと視点を変えて。
冷却水の循環がずっと必要だと語られていたよね。もう建屋も格納容器も破損した(圧力容器も破損しているが)状況では、その冷却水循環も無理になったようだが。なので今放水している水は、ダダ漏れな状態になっており汚染が外部に溢れる危険性を今も秘めているわけだが。しかし循環は冷却水だけではなく、『経済的』にも非常に重要な論点だと思うのだ。何故なら脱原発を実現するためには、それに代わる雇用の代替産業が必須だからだ。エネルギーの代替だけでは論議が不十分だと思うのだ。
ツイッターのTLを見ていて、特に福島県民の方々の中に「脱原発」の動きに醒めた意見を投稿する方々がいる。「放射線量は福島県全域が高いわけではない。なのに福島を一括りに語るのはやめろ!」「それにぶっちゃけここで生活してきたんだ。ならば生きていくためにどうすればいいっていうんだ!?」「避難しろっていうけど、そこで仕事があるのか?」などという気持ちなのだろう。僕も福島県民だとすると、そういう気持ちになるかもしれない。なので福島を一括りに語るのはやめたほうがいいよね。
では、実際に放射線物質に汚染された地域の場合はどうだろうか?原発で働いている方々もいるだろうし、農業や漁業に従事している方々もいるだろうし、一概に「避難せよ」「もう食べれない」「原発反対!」なんていう言葉を受け入れろとは言えないよ。戦争を体験した世代は貧しい時代を過ごしてきたので「少々の汚染なんてとやかく言うのは贅沢だ」なんて思っているかもしれない。
だから結局は「代替」を用意しないと話が進まないと思うのです。仕事しかり、住む場所しかり。そしてその選択は正しい汚染の数値を提示し乳幼児における危険を示した上で、自由選択という事になると思います。僕は原発は代替エネルギーを用意しながら少しずつ廃止すべきだと思うし、子供は避難すべきだと思うのだけど、その意見を押し付けるのはやはり酷なのではないかとも感じる。難しいよ。でも時間かけてもみんなで努力すべき事だよね。
岩手・宮城の被災者で、仕事を失った方々はまた別だ。彼らこそ代替産業を考えなければならない。しかしそれは地元にお金を自由裁量で落とさないと、他県業者がその復興費用を持って行ったら意味ないからね。なので高橋洋一氏が朝生で語っていたように「とにかく権限とお金をそのまま地方に渡して、後は責任が俺がとる!という政治主導が大切」という言葉につきるんじゃないかな。つまり復興に充てられたお金はその地方を循環するものにしなければならない、という事。
原発一つ考えても、今までのやり方を変えていくのは大変だね。でも脱原発は今がチャンスなので大方針を掲げて、原発従事者や被災者の気持ちを重んじながら少しずつ変えていく事が大切なのではないかな?と思います。6.11の脱原発デモを観ながら、その動きに賛同しつつもちょっと複雑な気持ちになったので書いてみました。うまくまとまらなかったけど。
冷却水の循環がずっと必要だと語られていたよね。もう建屋も格納容器も破損した(圧力容器も破損しているが)状況では、その冷却水循環も無理になったようだが。なので今放水している水は、ダダ漏れな状態になっており汚染が外部に溢れる危険性を今も秘めているわけだが。しかし循環は冷却水だけではなく、『経済的』にも非常に重要な論点だと思うのだ。何故なら脱原発を実現するためには、それに代わる雇用の代替産業が必須だからだ。エネルギーの代替だけでは論議が不十分だと思うのだ。
ツイッターのTLを見ていて、特に福島県民の方々の中に「脱原発」の動きに醒めた意見を投稿する方々がいる。「放射線量は福島県全域が高いわけではない。なのに福島を一括りに語るのはやめろ!」「それにぶっちゃけここで生活してきたんだ。ならば生きていくためにどうすればいいっていうんだ!?」「避難しろっていうけど、そこで仕事があるのか?」などという気持ちなのだろう。僕も福島県民だとすると、そういう気持ちになるかもしれない。なので福島を一括りに語るのはやめたほうがいいよね。
では、実際に放射線物質に汚染された地域の場合はどうだろうか?原発で働いている方々もいるだろうし、農業や漁業に従事している方々もいるだろうし、一概に「避難せよ」「もう食べれない」「原発反対!」なんていう言葉を受け入れろとは言えないよ。戦争を体験した世代は貧しい時代を過ごしてきたので「少々の汚染なんてとやかく言うのは贅沢だ」なんて思っているかもしれない。
だから結局は「代替」を用意しないと話が進まないと思うのです。仕事しかり、住む場所しかり。そしてその選択は正しい汚染の数値を提示し乳幼児における危険を示した上で、自由選択という事になると思います。僕は原発は代替エネルギーを用意しながら少しずつ廃止すべきだと思うし、子供は避難すべきだと思うのだけど、その意見を押し付けるのはやはり酷なのではないかとも感じる。難しいよ。でも時間かけてもみんなで努力すべき事だよね。
岩手・宮城の被災者で、仕事を失った方々はまた別だ。彼らこそ代替産業を考えなければならない。しかしそれは地元にお金を自由裁量で落とさないと、他県業者がその復興費用を持って行ったら意味ないからね。なので高橋洋一氏が朝生で語っていたように「とにかく権限とお金をそのまま地方に渡して、後は責任が俺がとる!という政治主導が大切」という言葉につきるんじゃないかな。つまり復興に充てられたお金はその地方を循環するものにしなければならない、という事。
原発一つ考えても、今までのやり方を変えていくのは大変だね。でも脱原発は今がチャンスなので大方針を掲げて、原発従事者や被災者の気持ちを重んじながら少しずつ変えていく事が大切なのではないかな?と思います。6.11の脱原発デモを観ながら、その動きに賛同しつつもちょっと複雑な気持ちになったので書いてみました。うまくまとまらなかったけど。
2011年5月19日木曜日
繋ぐ力
昨日、巨人vs楽天の試合があり、プロ入り3年目の大田君が初安打を打ち、そのヒットが決勝タイムリーとなりました。(良かった良かった^^)その打席を家に帰ってテレビで見たのですが、まさに必死に食らいつこう・次の打者へ何とか繋ごうという意識のバッティングだったと感じました。
僕は会社での会議でも後輩へのアドバイスでも「努力を繋ぐ事・情報を共有する事」などを強調しているように思います。これまでの社会人経験で、特定の個に頼るよりチームで考察して対処する方が好結果が出る事が多いと実感しているからです。「1人の100歩より100人の1歩」という言葉にも象徴されているように思います。というより個の力なんて、天才でない限り大した物ではないと思っているからなのでしょうね。
この繋ぐ力は、実はスポーツで実証されています。例えばサッカーや野球の世界大会です。確かに長友選手やイチローなど、運動能力が突出しているように思える選手もいますが、しかし日本が世界から強豪と見なされるようになった原因は、とにかく仲間へ繋ごうとするチームプレーでの連携攻撃なのだと思います。繋ぐ事の力をより高める為に個々人の技量を磨き、その上でチームプレーを皆で作り上げているのではないのでしょうか?
昔からの遊びに『伝言ゲーム』がありますよね。これって案外難しく、最初のセリフが最後の人に全く正確に伝わらなかったりします。その原因は「正確に聞き取ろう」と純粋に思わなかったり、うろ覚えに何か自分の余計な意思を加えたりする事で歪んでいくのではないかな?と思います。
今、日本ではこの繋ぐ力により凄い事が起きています。震災の際は、ツイッターやネットを利用して炊き出しの情報や自衛隊が補いきれない被災地状況を知らせてNPOや有志が助け合いを補完し合ったりしました。皆の思いがTVや報道などで繋がった事で、GWには何万人ものボランティアの方々が被災地に訪れました。原子力発電所の事故を知りその問題を実感したり考える事で、各地で脱原発のデモなどの動きも活発になりました。TVも今までのように報道しないわけにも行かず、NHKなどで取り上げられるようになりました。岩上安見さんの報道団体(Independent Web Journal) では、何と一般市民が報道主体者となり、報道のみならず支援活動などを生み出すというムーブメントも生まれてきました。凄い凄い。フリーのジャーナリストの方々や学者の方々も、今まで個々で主に活動していたのがコラボレーションのような動きも見えるようになりました。これこそ繋ぐ力なのでしょう。しかし、この繋ぐ力は相手を理解しようとする受け入れの心と、普段からの経験や知識があってこそ成立するのだと思います。
立場を超えて何かを繋ぐ。世代を超えて大切なものを残す。世界が平和である事を願う為に語り合う。その為に自分の無知を認識し、謙虚に普段からいろいろなモノを吸収する姿勢は死ぬまで持ち続けよう、と考えたりする今日この頃でした。
僕は会社での会議でも後輩へのアドバイスでも「努力を繋ぐ事・情報を共有する事」などを強調しているように思います。これまでの社会人経験で、特定の個に頼るよりチームで考察して対処する方が好結果が出る事が多いと実感しているからです。「1人の100歩より100人の1歩」という言葉にも象徴されているように思います。というより個の力なんて、天才でない限り大した物ではないと思っているからなのでしょうね。
この繋ぐ力は、実はスポーツで実証されています。例えばサッカーや野球の世界大会です。確かに長友選手やイチローなど、運動能力が突出しているように思える選手もいますが、しかし日本が世界から強豪と見なされるようになった原因は、とにかく仲間へ繋ごうとするチームプレーでの連携攻撃なのだと思います。繋ぐ事の力をより高める為に個々人の技量を磨き、その上でチームプレーを皆で作り上げているのではないのでしょうか?
昔からの遊びに『伝言ゲーム』がありますよね。これって案外難しく、最初のセリフが最後の人に全く正確に伝わらなかったりします。その原因は「正確に聞き取ろう」と純粋に思わなかったり、うろ覚えに何か自分の余計な意思を加えたりする事で歪んでいくのではないかな?と思います。
今、日本ではこの繋ぐ力により凄い事が起きています。震災の際は、ツイッターやネットを利用して炊き出しの情報や自衛隊が補いきれない被災地状況を知らせてNPOや有志が助け合いを補完し合ったりしました。皆の思いがTVや報道などで繋がった事で、GWには何万人ものボランティアの方々が被災地に訪れました。原子力発電所の事故を知りその問題を実感したり考える事で、各地で脱原発のデモなどの動きも活発になりました。TVも今までのように報道しないわけにも行かず、NHKなどで取り上げられるようになりました。岩上安見さんの報道団体(Independent Web Journal) では、何と一般市民が報道主体者となり、報道のみならず支援活動などを生み出すというムーブメントも生まれてきました。凄い凄い。フリーのジャーナリストの方々や学者の方々も、今まで個々で主に活動していたのがコラボレーションのような動きも見えるようになりました。これこそ繋ぐ力なのでしょう。しかし、この繋ぐ力は相手を理解しようとする受け入れの心と、普段からの経験や知識があってこそ成立するのだと思います。
立場を超えて何かを繋ぐ。世代を超えて大切なものを残す。世界が平和である事を願う為に語り合う。その為に自分の無知を認識し、謙虚に普段からいろいろなモノを吸収する姿勢は死ぬまで持ち続けよう、と考えたりする今日この頃でした。
2011年5月9日月曜日
今のままの資本主義は正しいのだろうか?
まぁ、さっきの愚痴書き込みの後でこんな事を書くのもなんだが。敗者の戯言のようで。でもずーっと思っている事を書きたい。
そもそも僕は教師志望で、世の中の事(特にお金)にあまり関わりたくないと学生時代は考えていた。中学時代に今は亡きオヤジとある事で確執があり、「お金なんてクソくらえだ!俺は生きたいままに生きたい!」という甘い?考えでいた。そんな僕が何を思ったか教師をあきらめ(教師は既に余っていたから)商社に就職し、今こうして働いている事も不思議なのだが(笑)。そんな僕だからこんな事を考えるのだろうか?
僕は、今日本で行われている資本主義という名のマネーゲームはかなり変な状況を生み出しているように思う。例えば今日、『菅総理が浜岡原発停止を決めたので、中部電力の株価が暴落した』という呟きをTwitter上で見かけた。その文面だけ見ると、まるで菅総理の英断が悪い事かのような内容に受け止められた。僕は思う。「はぁ??福島のあの悲惨な放射線被爆の状況を見ても、まだ原発廃止を強く訴えられないのだろうか?自分がその立場に立ってみなよ。菅総理の浜岡原発は英断。むしろ原発全面廃止へのマップを早く示して欲しいくらいだ。それと中部電力の株価暴落を並べて論じる事が正しいのだろうか?」と。(株価自体、何を根拠に数値化されているかも怪しいものだが...)
僕の思いはそれだけに留まらない。僕は経済の素人だが、そんな事は構わず言えば、僕から言わせれば経済とは「単なるお金の循環」だ。世の中には善意の行為が多々あるにも関わらず、興味を惹いたり目新しいものなどに投資が必要以上に行われるため、善意ある行動がお金の循環に入れない事がある。また生まれながらにして貧困な人達はそのお金の循環ゲームに加わる前にハンディを背負っている事も多く、そういう実力や人間性に富の配布が比例しない事を「世の中は厳しいんだ」なんて良く判らないセリフでスルーしてしまう。これってありなのか?
もっと言おう。今行われている資本主義とは、「先代から延々と引き継がれたモノポリー」みたいなものだ。破産するまでグルグル回る。延々とゲームは終わらない。先に金のなる木を見つけた者が富を淡々と得る事ができる。持たざる者は支払うのみ。財産没収のババを掴まなければ金持ちは延々と金持ちで、貧乏はどんどん貧乏になる。僕は収入面で恵まれる部類に入るのでこんな事いう立場にはないのかもしれないが、今の若者の雇用状況や多くの中小企業の倒産を知るにつけ、「なんでこうなるのか?」と不思議に思う。国は国債発行額ほぼ1000兆だと言う。確かにそうだ。しかしその国債を購入しているのは国内企業と市民だ。”国”を国家と民間を両方で見た場合、日本は黒字です。しかも特別会計なんてよく分からない国家資産もある。なのに何故その資産をなるべく公平に分かち合うように循環できないのか?「日本ほど貧富の差がない国はない」うん。それが何?いい事じゃないか。だから何だと言うのか?何故に良い事をあたかも特殊な事のように論じて、グローバリズムという世界状況がデフォルトなんだと思おうとするのか?もっともっと貧富の差を無くして(というより絶対的貧困を廃絶して)「日本はこんなに住みやすい良い国なのです。」というアピールをしようとしないのか?東北は被災で土地や住居・職を失った人々が数多くいる。しかし復興支援金はやっと閣議決定された(4兆円)。しかも財源確保のために増税との意見あり。いやいや、まずは特別会計枠をオープンにして今ある税金で考えようよ。そうしないと結局「お金の循環」は小さくなる。しかもその循環ゲームに東北の業者や市民が加わる保障もない。おかしいよ。
子供みたいな事をいうかもしれないが、トランプや麻雀だって、一旦清算(ゲームオーバー)してカードや牌・点棒を配りなおすではないか。それは勝った者が勝ちすぎないために施されるルールであり、なるべく多くの人がゲームに参加できるようにするためだ。清算時だって「あぁ、まぁこんな程度でいいよ。あとは要らないから」なんて勝者が言う事が美学だったりするんじゃないのかね?丼勘定の美学。後輩に対する先輩の心。僕は今の日本で行われている資本主義はとても排他的であり、かつ飲み会の清算を1円単位で割り勘しようとする、同じ立場の者同士が行う『何ともせせこましいお金のやり取り』のような気がして仕方がない。金持ちに限って子供手当や高校無償化(確かに高校無償化は僕も違和感あるが)などを「バラマキ」なんて言う。いいじゃないか。市民の資産なのではないのか?困った人に与えて皆でゲームを分かち合う事が何故バラマキなのか?僕は今問題視されている年金なども合わせて、本気でベーシックインカム制度を導入すべきではないかと考え始めている。皆が細やかな幸せを感じて、笑顔でいられる世の中が一番望ましい世界だと思うのだが。
あぁ、やめた。今の僕には何だか負け犬の遠吠えを言っているように思えてきた。
そもそも僕は教師志望で、世の中の事(特にお金)にあまり関わりたくないと学生時代は考えていた。中学時代に今は亡きオヤジとある事で確執があり、「お金なんてクソくらえだ!俺は生きたいままに生きたい!」という甘い?考えでいた。そんな僕が何を思ったか教師をあきらめ(教師は既に余っていたから)商社に就職し、今こうして働いている事も不思議なのだが(笑)。そんな僕だからこんな事を考えるのだろうか?
僕は、今日本で行われている資本主義という名のマネーゲームはかなり変な状況を生み出しているように思う。例えば今日、『菅総理が浜岡原発停止を決めたので、中部電力の株価が暴落した』という呟きをTwitter上で見かけた。その文面だけ見ると、まるで菅総理の英断が悪い事かのような内容に受け止められた。僕は思う。「はぁ??福島のあの悲惨な放射線被爆の状況を見ても、まだ原発廃止を強く訴えられないのだろうか?自分がその立場に立ってみなよ。菅総理の浜岡原発は英断。むしろ原発全面廃止へのマップを早く示して欲しいくらいだ。それと中部電力の株価暴落を並べて論じる事が正しいのだろうか?」と。(株価自体、何を根拠に数値化されているかも怪しいものだが...)
僕の思いはそれだけに留まらない。僕は経済の素人だが、そんな事は構わず言えば、僕から言わせれば経済とは「単なるお金の循環」だ。世の中には善意の行為が多々あるにも関わらず、興味を惹いたり目新しいものなどに投資が必要以上に行われるため、善意ある行動がお金の循環に入れない事がある。また生まれながらにして貧困な人達はそのお金の循環ゲームに加わる前にハンディを背負っている事も多く、そういう実力や人間性に富の配布が比例しない事を「世の中は厳しいんだ」なんて良く判らないセリフでスルーしてしまう。これってありなのか?
もっと言おう。今行われている資本主義とは、「先代から延々と引き継がれたモノポリー」みたいなものだ。破産するまでグルグル回る。延々とゲームは終わらない。先に金のなる木を見つけた者が富を淡々と得る事ができる。持たざる者は支払うのみ。財産没収のババを掴まなければ金持ちは延々と金持ちで、貧乏はどんどん貧乏になる。僕は収入面で恵まれる部類に入るのでこんな事いう立場にはないのかもしれないが、今の若者の雇用状況や多くの中小企業の倒産を知るにつけ、「なんでこうなるのか?」と不思議に思う。国は国債発行額ほぼ1000兆だと言う。確かにそうだ。しかしその国債を購入しているのは国内企業と市民だ。”国”を国家と民間を両方で見た場合、日本は黒字です。しかも特別会計なんてよく分からない国家資産もある。なのに何故その資産をなるべく公平に分かち合うように循環できないのか?「日本ほど貧富の差がない国はない」うん。それが何?いい事じゃないか。だから何だと言うのか?何故に良い事をあたかも特殊な事のように論じて、グローバリズムという世界状況がデフォルトなんだと思おうとするのか?もっともっと貧富の差を無くして(というより絶対的貧困を廃絶して)「日本はこんなに住みやすい良い国なのです。」というアピールをしようとしないのか?東北は被災で土地や住居・職を失った人々が数多くいる。しかし復興支援金はやっと閣議決定された(4兆円)。しかも財源確保のために増税との意見あり。いやいや、まずは特別会計枠をオープンにして今ある税金で考えようよ。そうしないと結局「お金の循環」は小さくなる。しかもその循環ゲームに東北の業者や市民が加わる保障もない。おかしいよ。
子供みたいな事をいうかもしれないが、トランプや麻雀だって、一旦清算(ゲームオーバー)してカードや牌・点棒を配りなおすではないか。それは勝った者が勝ちすぎないために施されるルールであり、なるべく多くの人がゲームに参加できるようにするためだ。清算時だって「あぁ、まぁこんな程度でいいよ。あとは要らないから」なんて勝者が言う事が美学だったりするんじゃないのかね?丼勘定の美学。後輩に対する先輩の心。僕は今の日本で行われている資本主義はとても排他的であり、かつ飲み会の清算を1円単位で割り勘しようとする、同じ立場の者同士が行う『何ともせせこましいお金のやり取り』のような気がして仕方がない。金持ちに限って子供手当や高校無償化(確かに高校無償化は僕も違和感あるが)などを「バラマキ」なんて言う。いいじゃないか。市民の資産なのではないのか?困った人に与えて皆でゲームを分かち合う事が何故バラマキなのか?僕は今問題視されている年金なども合わせて、本気でベーシックインカム制度を導入すべきではないかと考え始めている。皆が細やかな幸せを感じて、笑顔でいられる世の中が一番望ましい世界だと思うのだが。
あぁ、やめた。今の僕には何だか負け犬の遠吠えを言っているように思えてきた。
2011年4月21日木曜日
原発が日本の現状を露にする --資本主義の歪み--
僕は大学を卒業し社会人となって22年目になる。21年の社会人生活の中で、公私に渡って多くの人達と出会う事ができた。その中で、ビジネスにおいて「この発言は如何なものか?」と思うような事を口にする人に出会う事がある。例えばこんな発言だ。
...その方がいらっしゃる地方に豪雨なので災害が起きたときなど...
「この度は大変な被害でしたね。どのような状況なのですか?」
「いやぁ、もうちょっと被害大きかった方が良かったね。これじゃあ災害復興の仕事も中途半端だよ。金にならないね。」
きっと発言している方は冗談のつもりなのだろう。そういう時は「あー、そうですか。」と適当にかわす事にしているが(きっと悪意はないという前提で)、しかし冗談にしてもこのような発言は道徳的にどうなんだろうと思います。僕が青臭いのだろうか?しかもこのような発言をする方は意外に多かったりする。冗談でも子供には聞かせたくないセリフだ。僕の知り合いで石油業界に勤務している知人がいて、2001年の9.11の直後にその知人に何気なく
「いやぁ、大変な事が起きたね。アメリカとアフガニスタンが戦争にならなければいいけど」と言ったら
「あ~、適当に爆弾落として終わりじゃない?まぁ人が死なない程度にさ。アメリカだって石油を安く手に入れたいだろうからさ。」
その時はあまりに意外な事を言われたのでビックリして怒りもできなかった。ビジネスによってかどうかよく分からないが、人の不幸に対しての感覚が鈍っているのであろうか?僕には理解できない感覚だ。
原発という巨大なプラント工事・燃料の重量に対して想像を絶する電力エネルギーを出力するによる費用対効果・電力会社が独占的である事による電気料金の高さ、収益の大きさ・巨額の広告料や裏金などでマスコミや政治家を利用したプロパガンタ。極端に言えば、金のためなら何でもやるという姿勢。最近で言えば、計画停電とは一体何だったのかと思う。もうかれこれ行われていない。これは一般家庭や企業努力の賜物か?いや、元々電力は足りていたと社民党党首・福島瑞穂議員はツイッターで書き込みしていた。ほんの一部の連中がこのようなふざけきった事を考えるのだろう、せめてこの大災害の最中である今はそう思いたい。でも人は何故、決して正しい行為とは思えない事に対してもビジネスという言葉で表現してしまうのだろうね。僕も回り回って、あるいは直接的に恩恵を被っている。公共事業に関わっている仕事に携わっているから。だからいつも思うのです。せめて明らかに無駄なものだけは公共事業投資して欲しくないと。でも日本には50を超える原子力発電所があり、電力は余っている。電力だけではない。地方には車もロクに走らない高速道路や、どう見ても必要性を感じない空港などを作り自然を失っているのが現実だ。
それでも人々の生活がある程度平たく豊かになれば、それはそれで良いのかもしれない。でも現実は違うよ。巨額の富を得たにも関わらず、一番重要な安全面・メンテナンスに関しては「費用対効果が見込めない」などという、単に数値的論理だけの空論で削減されるのだから。作成時に関しても災害の想定を高く見積もる事をせず、それを「コスト削減に成功した」などと表現して、富を一部の人間が握りしめているのだ。実作業者(主に下請け業者)はコスト削減されているのだから収入も少ない。しかし仕事がない(本来あるのだけど)地方に大型事業を持ってきて、その事業に携わる市民を少し潤す事で利権者は巨額の富を得て陰で笑っているわけだ。
しかし今回の福島原発の事故により、その歪みが露になった。その被害の収束を必死に行っている方々は下請け業者や自衛隊や消防隊の方々だ。僕は彼らの体を張った行為に心から感謝と尊敬とお詫びをするよ。電力供給を得ていた1人として正面から向き合わなければいけない。その反面、巨額の富を得ていた人達は表に出てきているのか?東京電力だけではないだろう?原子力保安院や安全委員会を責めていればいいのか?違うよ。もっと多くの人が直接的に関わっていたんじゃないのか?責任論を言ったところで災害が止まるわけではないが、せめてもう福島の悲劇を2度と呼ばないようにしようよ。原子力という人間のコントロールを超えた存在によって日本が無くなるかも知れないよ。
今日、こんな記事を見つけた。言葉を失います。
福島が殺される
...その方がいらっしゃる地方に豪雨なので災害が起きたときなど...
「この度は大変な被害でしたね。どのような状況なのですか?」
「いやぁ、もうちょっと被害大きかった方が良かったね。これじゃあ災害復興の仕事も中途半端だよ。金にならないね。」
きっと発言している方は冗談のつもりなのだろう。そういう時は「あー、そうですか。」と適当にかわす事にしているが(きっと悪意はないという前提で)、しかし冗談にしてもこのような発言は道徳的にどうなんだろうと思います。僕が青臭いのだろうか?しかもこのような発言をする方は意外に多かったりする。冗談でも子供には聞かせたくないセリフだ。僕の知り合いで石油業界に勤務している知人がいて、2001年の9.11の直後にその知人に何気なく
「いやぁ、大変な事が起きたね。アメリカとアフガニスタンが戦争にならなければいいけど」と言ったら
「あ~、適当に爆弾落として終わりじゃない?まぁ人が死なない程度にさ。アメリカだって石油を安く手に入れたいだろうからさ。」
その時はあまりに意外な事を言われたのでビックリして怒りもできなかった。ビジネスによってかどうかよく分からないが、人の不幸に対しての感覚が鈍っているのであろうか?僕には理解できない感覚だ。
原発という巨大なプラント工事・燃料の重量に対して想像を絶する電力エネルギーを出力するによる費用対効果・電力会社が独占的である事による電気料金の高さ、収益の大きさ・巨額の広告料や裏金などでマスコミや政治家を利用したプロパガンタ。極端に言えば、金のためなら何でもやるという姿勢。最近で言えば、計画停電とは一体何だったのかと思う。もうかれこれ行われていない。これは一般家庭や企業努力の賜物か?いや、元々電力は足りていたと社民党党首・福島瑞穂議員はツイッターで書き込みしていた。ほんの一部の連中がこのようなふざけきった事を考えるのだろう、せめてこの大災害の最中である今はそう思いたい。でも人は何故、決して正しい行為とは思えない事に対してもビジネスという言葉で表現してしまうのだろうね。僕も回り回って、あるいは直接的に恩恵を被っている。公共事業に関わっている仕事に携わっているから。だからいつも思うのです。せめて明らかに無駄なものだけは公共事業投資して欲しくないと。でも日本には50を超える原子力発電所があり、電力は余っている。電力だけではない。地方には車もロクに走らない高速道路や、どう見ても必要性を感じない空港などを作り自然を失っているのが現実だ。
それでも人々の生活がある程度平たく豊かになれば、それはそれで良いのかもしれない。でも現実は違うよ。巨額の富を得たにも関わらず、一番重要な安全面・メンテナンスに関しては「費用対効果が見込めない」などという、単に数値的論理だけの空論で削減されるのだから。作成時に関しても災害の想定を高く見積もる事をせず、それを「コスト削減に成功した」などと表現して、富を一部の人間が握りしめているのだ。実作業者(主に下請け業者)はコスト削減されているのだから収入も少ない。しかし仕事がない(本来あるのだけど)地方に大型事業を持ってきて、その事業に携わる市民を少し潤す事で利権者は巨額の富を得て陰で笑っているわけだ。
しかし今回の福島原発の事故により、その歪みが露になった。その被害の収束を必死に行っている方々は下請け業者や自衛隊や消防隊の方々だ。僕は彼らの体を張った行為に心から感謝と尊敬とお詫びをするよ。電力供給を得ていた1人として正面から向き合わなければいけない。その反面、巨額の富を得ていた人達は表に出てきているのか?東京電力だけではないだろう?原子力保安院や安全委員会を責めていればいいのか?違うよ。もっと多くの人が直接的に関わっていたんじゃないのか?責任論を言ったところで災害が止まるわけではないが、せめてもう福島の悲劇を2度と呼ばないようにしようよ。原子力という人間のコントロールを超えた存在によって日本が無くなるかも知れないよ。
今日、こんな記事を見つけた。言葉を失います。
福島が殺される
2011年4月20日水曜日
原発が日本の現状を露にする --楽観論--
昨日の投稿の続き。今日は「楽観論」について書くことにする。(昨日の動画も下に添える)
1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見
2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた
僕はこの楽観論は日本の至る所に蔓延っている主たる問題だと常々思ってきた。「事なかれ主義」「性善説」「なんとかなるさ」ざっとこんな言葉が頭に浮かぶ。要するに、実現するかどうかの裏付けがないまま事が進み、後付けで何とかしようと取り繕う姿勢だ。よくあるよね?
例えば僕が知人から聞いた話だ。新しい商品(業務パッケージ)に向けてのプロジェクトが発足された。本来ならばこのプロジェクトの発足時から技術者を入れておくべきだ。でないと本来工程表や稼働時期予測などができない。しかしこのプロジェクトは一部上層部(役員・株主)で希望的観測による発売時期目標が定められ、知人が参加した会合では関連会社を含めた大々的な発表会になっていた。そもそも商品のコンセプトも決まっていないのに、である。商品発売は10か月後!ダルマの目入れ式は粛々と進む。知人は絶対無理だと心の中で叫んでいたのだが、とても言い出せる状況にない。そして宴もたけなわの頃、1人の出席者が「ところで、10か月で大丈夫なの?」...『あの時無理だって言えば良かったんだ。今でも後悔している。俺たちが開発している商品は技術計算も多く含むので問題が生じると訴訟問題になるし、過去の商品でお客様から戴いていたご要望・開発者として実現させたい夢などもあったから。でも全体が突き進んでいるあの場では言えなかった。それに何の根拠もないが、(気合を入れて頑張れば何とかなるかも知れない)とも思ってしまった。精神論が出てしまったんだよね。』何とか回復可能な工数なら挽回できるが、そもそも商品コンセプトという一番大切なマップがない。営業を含めた商品構想会議もそう簡単にはまとまらない。個々の営業事情もあり、丁寧な議論とプレゼンを重ねれば時間がかかって当然だ。工期が差し迫るとソフト開発会社をあたりまっくて人員増員作戦。しかし新規参入のプログラマには商品コンセプトなどそうそう簡単には伝わらない。意図せぬ成果物。作っては修正。部長は「元々10人体制で工数1年なら、20人で半年に縮まるはずだ。」そんなに話はうまく進まない。構想・設計・新規技術の習得・作業者への伝達・検査・上司への辻褄合わせ的な状況報告。殆ど休みなし。度々続く徹夜の日々。結局、営業や技術者が反対するにも関わらず上層部に押し切られ発表後1年半で商品販売。商品が不安定なため市場の不評を買い、落ち着くまでに3年。知人は『2年あれば内容も品質も安定した商品が完成したと思う。あの頃は始めの期日に何とか間に合わせようと兎に角作る事にしたので、作業も混乱したし後戻りも多かった。初めて一緒に仕事する委託者に伝えるのは難しかった。それに多く蓄積していた要望も何とか入れた形の商品にしたかったから。でも何を言っても今となっては言い訳だけど。』
...これって僕の会社の事かって?...秘密だよ(笑)
「市場が今攻め時だから」「営業が売り玉がないと嘆いている」「ウチの商品は市場から陳腐化されていると思われてないかな?」営業の苦労・上層部の狙い・充分に理解する。僕も営業同行やお客さんへのサポート活動で痛いほど感じてきたから。でも出来ないものは出来ない。しかし実務者はそれを言い訳と自問自答する時があるのだ。そういう形で、何の根拠もない構想と希望的時期が有無を言わさぬ全体行動へと繋がり、理論武装だけでは止まらない強いうねりに流される。こういう経験をお持ちの方は世の中に多いと思うのだが。
...でも絶対してはいけない事なのだ。結局は品質を損ねるから...
このような話を、元原発技術者の菊池さんが語っていますね。僕は菊池さん他作業員のご苦労を痛いほど感じる。ジレンマがよく分かる。そのような問題を生み出すのは、よく実情を理解していない人の「楽観論」と、それを何とか実現しようとする実務者の「精神論」なのだと思います。しかもその楽観論の根拠が単なる金の話だとしたら、もう悲劇だ。
神保哲夫氏・宮台真司氏・青木理氏など「のマル劇トークオンデマンド」で「あえて最悪のシナリオを考える」という特集を組んだり、上杉隆氏が「まずは最悪の状態を想定してオフセットを大きくとり、徐々に狭める」という発言をしていた。彼らは「パニックを生む原因になる」とか「風評被害に繋がる」などと批判を受けたらしい。しかし僕は別に責められる行為とは思わない。むしろできる限りのシュミレーションを行う為に考えられうるシナリオを想定して其々に行動指針を定める事は重要な事で、単にその中で最悪と思う所をピックアップして基準を定めた話に過ぎない。想定外のアドリブ行動をなるべく回避するためにシュミレーションするのだから。自己の行動を安全にするためなのだから。
下らない例だけど、将棋だって相手の打ち手を想定しながら勝負するよね?麻雀だって手持ち13パイで勝負できるほど自分に自信が無かったら安パイ持っておくでしょ?それが最悪のシナリオ想定だよ。普段からやっている事じゃないか。
1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見
2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた
僕はこの楽観論は日本の至る所に蔓延っている主たる問題だと常々思ってきた。「事なかれ主義」「性善説」「なんとかなるさ」ざっとこんな言葉が頭に浮かぶ。要するに、実現するかどうかの裏付けがないまま事が進み、後付けで何とかしようと取り繕う姿勢だ。よくあるよね?
例えば僕が知人から聞いた話だ。新しい商品(業務パッケージ)に向けてのプロジェクトが発足された。本来ならばこのプロジェクトの発足時から技術者を入れておくべきだ。でないと本来工程表や稼働時期予測などができない。しかしこのプロジェクトは一部上層部(役員・株主)で希望的観測による発売時期目標が定められ、知人が参加した会合では関連会社を含めた大々的な発表会になっていた。そもそも商品のコンセプトも決まっていないのに、である。商品発売は10か月後!ダルマの目入れ式は粛々と進む。知人は絶対無理だと心の中で叫んでいたのだが、とても言い出せる状況にない。そして宴もたけなわの頃、1人の出席者が「ところで、10か月で大丈夫なの?」...『あの時無理だって言えば良かったんだ。今でも後悔している。俺たちが開発している商品は技術計算も多く含むので問題が生じると訴訟問題になるし、過去の商品でお客様から戴いていたご要望・開発者として実現させたい夢などもあったから。でも全体が突き進んでいるあの場では言えなかった。それに何の根拠もないが、(気合を入れて頑張れば何とかなるかも知れない)とも思ってしまった。精神論が出てしまったんだよね。』何とか回復可能な工数なら挽回できるが、そもそも商品コンセプトという一番大切なマップがない。営業を含めた商品構想会議もそう簡単にはまとまらない。個々の営業事情もあり、丁寧な議論とプレゼンを重ねれば時間がかかって当然だ。工期が差し迫るとソフト開発会社をあたりまっくて人員増員作戦。しかし新規参入のプログラマには商品コンセプトなどそうそう簡単には伝わらない。意図せぬ成果物。作っては修正。部長は「元々10人体制で工数1年なら、20人で半年に縮まるはずだ。」そんなに話はうまく進まない。構想・設計・新規技術の習得・作業者への伝達・検査・上司への辻褄合わせ的な状況報告。殆ど休みなし。度々続く徹夜の日々。結局、営業や技術者が反対するにも関わらず上層部に押し切られ発表後1年半で商品販売。商品が不安定なため市場の不評を買い、落ち着くまでに3年。知人は『2年あれば内容も品質も安定した商品が完成したと思う。あの頃は始めの期日に何とか間に合わせようと兎に角作る事にしたので、作業も混乱したし後戻りも多かった。初めて一緒に仕事する委託者に伝えるのは難しかった。それに多く蓄積していた要望も何とか入れた形の商品にしたかったから。でも何を言っても今となっては言い訳だけど。』
...これって僕の会社の事かって?...秘密だよ(笑)
「市場が今攻め時だから」「営業が売り玉がないと嘆いている」「ウチの商品は市場から陳腐化されていると思われてないかな?」営業の苦労・上層部の狙い・充分に理解する。僕も営業同行やお客さんへのサポート活動で痛いほど感じてきたから。でも出来ないものは出来ない。しかし実務者はそれを言い訳と自問自答する時があるのだ。そういう形で、何の根拠もない構想と希望的時期が有無を言わさぬ全体行動へと繋がり、理論武装だけでは止まらない強いうねりに流される。こういう経験をお持ちの方は世の中に多いと思うのだが。
...でも絶対してはいけない事なのだ。結局は品質を損ねるから...
このような話を、元原発技術者の菊池さんが語っていますね。僕は菊池さん他作業員のご苦労を痛いほど感じる。ジレンマがよく分かる。そのような問題を生み出すのは、よく実情を理解していない人の「楽観論」と、それを何とか実現しようとする実務者の「精神論」なのだと思います。しかもその楽観論の根拠が単なる金の話だとしたら、もう悲劇だ。
神保哲夫氏・宮台真司氏・青木理氏など「のマル劇トークオンデマンド」で「あえて最悪のシナリオを考える」という特集を組んだり、上杉隆氏が「まずは最悪の状態を想定してオフセットを大きくとり、徐々に狭める」という発言をしていた。彼らは「パニックを生む原因になる」とか「風評被害に繋がる」などと批判を受けたらしい。しかし僕は別に責められる行為とは思わない。むしろできる限りのシュミレーションを行う為に考えられうるシナリオを想定して其々に行動指針を定める事は重要な事で、単にその中で最悪と思う所をピックアップして基準を定めた話に過ぎない。想定外のアドリブ行動をなるべく回避するためにシュミレーションするのだから。自己の行動を安全にするためなのだから。
下らない例だけど、将棋だって相手の打ち手を想定しながら勝負するよね?麻雀だって手持ち13パイで勝負できるほど自分に自信が無かったら安パイ持っておくでしょ?それが最悪のシナリオ想定だよ。普段からやっている事じゃないか。
原発が日本の現状を露にする --大型工業地帯の盛衰--
僕は原発に対してこんなにも仰々しいタイトルほどの知識も無く、こんな事を書いて良いのかという疑問を自らに抱きながら、あえて書く事にした。
昨日・そして今日視聴した2つの動画がある。この2つの動画は、原発を通して日本の現状を様々な面で露にしてくれたと思っている。
1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見
2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた
今日は「大型工業地帯の盛衰」について書いてみたい。「企業誘致」という言葉を聞く事がある。大企業や大型公共事業を誘致する事で地元に雇用と富を生み出し、”経済発展”する事でその地方の住民の生活を豊かにする事を目的にしたものだ。これは決して悪い事ではない。雇用を生み出すのだから喜ぶ住民も多いだろう。しかし大型であればあるほど、繁栄も大きければ衰退も大きい。
僕は3歳で千葉の君津市に福岡県から引越してきた。新日鉄に働いていた父の転勤のためだ。福岡だけでなく北海道からも君津に越してきた人達も多く、僕が住んでいた近くには地元住民よりも移住者の方が圧倒的に多かったように記憶している。社宅に住んでいた頃は、周りには福岡から転勤してきた家族が殆どで、僕は千葉に居ながら九州弁で過ごすという今から思えば不思議な環境で育った。新日鉄は当時物凄い勢いがあり、僕の家族は社宅(賃貸)から一軒家に住み替えてそれなりの暮らしをして来た。僕の父は製鉄業や地元の土地開発事業などに携わっており、農地・山を商業地・ゴルフ場などに変えていく様を自ら手がけていたと、父の葬儀の際参列して戴いた方々から聞いた。僕が引っ越してきた頃から、君津は見る見る内に変わっていった。僕もその様子を見て育った。
しかし僕が高校の頃位からだろうか、新日鉄は売り上げを下げてきた。今から思えば軍事産業の恩恵も受けていたんだろうね。工場の休止・閉鎖が少しずつ実施されるようになった。そして僕が大学に行く頃に大型のリストラが断行された。僕が小さい頃からお世話になった方々の何人かも対象になった。工場は不必要になったからといって何処かに譲る事もできないし、かと言って盛況な時は必要性もあり工場の規模は広がっていく。今は君津の社宅の一部はゴーストタウン化している。住む人もいない。少しずつ住宅街に変えようとしているみたいだが。
何事にも盛衰はあるもので、それ自体が悪いとは言えない。恩恵も受けた身なので悪いなんて言えない。でも大型化していけばいくほど衰退期の傷(リストラなど)は当然大きく、また残った使用しない工場は他の利用も難しく、農地や漁場にも戻らない。そして幼少期を過ごした僕の世代は、東京が近い事もあり、また元々地元民ではない為か多くは地元から離れていった。そうなると大きなゴーストタウンが出来上がるのだ。これは、経済成長に必死だった時代ならともかく今の時代には適合しないように感じる。もっと自然を重視し、不要な際には他利用が困難な産物を極力生まない事が重要だと思う。しかもこれから人口は確実に減少していく。地元が本当に必要な小さなコミュニティ企業を増やしていく事がこれから求められるのではないかと思う。
今、福島原発が地震と津波による災害で事故になりまだ事態の収束は向かえていない。それにも関わらず原発の新規増設が図られるような計画が噂されている。人口減少により電力需要も減る事が予想されているにも関わらずである。さすがにおかしいよね。それに原発である必然性もない。風力や太陽光などの自然エネルギー利用で良いではないか。僕は今の東北の悲劇を目の当たりにする状況下であるこの期に及んで必要なき公共事業に走ろうとする一部利権者の心理など考えたくもないのである。
昨日・そして今日視聴した2つの動画がある。この2つの動画は、原発を通して日本の現状を様々な面で露にしてくれたと思っている。
1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見
2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた
今日は「大型工業地帯の盛衰」について書いてみたい。「企業誘致」という言葉を聞く事がある。大企業や大型公共事業を誘致する事で地元に雇用と富を生み出し、”経済発展”する事でその地方の住民の生活を豊かにする事を目的にしたものだ。これは決して悪い事ではない。雇用を生み出すのだから喜ぶ住民も多いだろう。しかし大型であればあるほど、繁栄も大きければ衰退も大きい。
僕は3歳で千葉の君津市に福岡県から引越してきた。新日鉄に働いていた父の転勤のためだ。福岡だけでなく北海道からも君津に越してきた人達も多く、僕が住んでいた近くには地元住民よりも移住者の方が圧倒的に多かったように記憶している。社宅に住んでいた頃は、周りには福岡から転勤してきた家族が殆どで、僕は千葉に居ながら九州弁で過ごすという今から思えば不思議な環境で育った。新日鉄は当時物凄い勢いがあり、僕の家族は社宅(賃貸)から一軒家に住み替えてそれなりの暮らしをして来た。僕の父は製鉄業や地元の土地開発事業などに携わっており、農地・山を商業地・ゴルフ場などに変えていく様を自ら手がけていたと、父の葬儀の際参列して戴いた方々から聞いた。僕が引っ越してきた頃から、君津は見る見る内に変わっていった。僕もその様子を見て育った。
しかし僕が高校の頃位からだろうか、新日鉄は売り上げを下げてきた。今から思えば軍事産業の恩恵も受けていたんだろうね。工場の休止・閉鎖が少しずつ実施されるようになった。そして僕が大学に行く頃に大型のリストラが断行された。僕が小さい頃からお世話になった方々の何人かも対象になった。工場は不必要になったからといって何処かに譲る事もできないし、かと言って盛況な時は必要性もあり工場の規模は広がっていく。今は君津の社宅の一部はゴーストタウン化している。住む人もいない。少しずつ住宅街に変えようとしているみたいだが。
何事にも盛衰はあるもので、それ自体が悪いとは言えない。恩恵も受けた身なので悪いなんて言えない。でも大型化していけばいくほど衰退期の傷(リストラなど)は当然大きく、また残った使用しない工場は他の利用も難しく、農地や漁場にも戻らない。そして幼少期を過ごした僕の世代は、東京が近い事もあり、また元々地元民ではない為か多くは地元から離れていった。そうなると大きなゴーストタウンが出来上がるのだ。これは、経済成長に必死だった時代ならともかく今の時代には適合しないように感じる。もっと自然を重視し、不要な際には他利用が困難な産物を極力生まない事が重要だと思う。しかもこれから人口は確実に減少していく。地元が本当に必要な小さなコミュニティ企業を増やしていく事がこれから求められるのではないかと思う。
今、福島原発が地震と津波による災害で事故になりまだ事態の収束は向かえていない。それにも関わらず原発の新規増設が図られるような計画が噂されている。人口減少により電力需要も減る事が予想されているにも関わらずである。さすがにおかしいよね。それに原発である必然性もない。風力や太陽光などの自然エネルギー利用で良いではないか。僕は今の東北の悲劇を目の当たりにする状況下であるこの期に及んで必要なき公共事業に走ろうとする一部利権者の心理など考えたくもないのである。
2011年4月7日木曜日
音楽は心を洗う事ができるのか?
The Journal において今日、田中良紹さんの投稿が載せられていた。『天罰』というタイトルだ。 実際に地震・津波・そして原発事故の3重の苦しみを味わっている福島の方々に対してはこの言葉を使う事は申し訳なく思うが、しかし原発事故に関しては、特に関東地方住民にとってはこの事故は天罰だと僕も思う。元々は原子力発電所に対する「多くの人の無関心」がこの事故の奥深い原因にあると思う。僕もその1人だ。原子力爆弾による被爆を過去に受けていたにも関わらず、その苦しみも子供の頃から親や学校やテレビなので充分に教えられたのに、同じ原子力を使用する「発電所」に対しての危険度を理解しようともしていなかった。世界に原子力発電所を売る戦略には多少の違和感はあったが、しかし違和感止まりでそれ以上の深い考察もしなかった。作業員の被爆問題も知っていたが、「原子力発電所は安全だ」という言葉を鵜呑みにしていた。昨日、海水に高放射線量の汚水を大量に流したと政府及び東京電力は発表した。僕はこの事実のみを受け止める事にしている。それまでの対策に不備があったのかも知れない。しかし、このような事に及んだ本当の事実はその内に明かされるであろう。なので今は一時も早くこの原発事故が鎮静化する事を祈るとともに、実際に復旧作業を必死に行っている方々を称えながら、世界の方々に日本人はお詫びをしなければならないと思う。
優しい音楽を聴いて、そして心を洗おう。目覚めよう。日本人はエコノミック・アニマルになり過ぎたのだ。世界の環境を守るべく、1人の国際人として責任ある行動を取らなければならない。大きな海々が世界を繋いでいるのである。世界は一つなのである。環境汚染での「ガラパゴス化」はやめにしなければならない。
優しい音楽を聴いて、そして心を洗おう。目覚めよう。日本人はエコノミック・アニマルになり過ぎたのだ。世界の環境を守るべく、1人の国際人として責任ある行動を取らなければならない。大きな海々が世界を繋いでいるのである。世界は一つなのである。環境汚染での「ガラパゴス化」はやめにしなければならない。
2011年3月9日水曜日
生きのびろ! ~力強く生きるためのバイブル~

今日は3月9日。もう今年になってから2か月を過ぎている。しかし僕にはその実感がない。この2か月はあっという間だった。そして今年に入ってからまだ3冊しか本を読んでいません(-_-)。
今日はその中で一番気に入った本の事を書きたい。この本は自宅近くの市立図書館で偶然見つけたもので、腰痛で休んでいた時を利用して(orz)1日で読破した。その位面白かった。雨宮処凛さんの「生きのびろ!」である。
この本は雨宮さんが「生きる力が物凄い!」と感じている彼女の同世代(30代のロスジェネ世代)を中心にした8つのインタビューをメインに書いてある本で、その人達が強者ぞろいなのだ。
1.園子温
強引に人や世の中を巻き込みまくるデタラメな生き方の映画監督
2.いちむらみさこ 物々交換で公園にテントで暮らす女芸術家。月収約2万円。
3.パク・ドヨン 類い稀なるDIY精神により自分の家を建て、飛行機まで作ろうとする韓国のアクティビスト。年収約10万円。
4.坂口恭平 ホームレスに生活の極意を学ぶ建築家。
5.藤野英明 恋人の自殺から政治を変える決心をし、コネも金も全くない状態から立候補して当選を果たした市議会議員。
6.王城ユニオン 働いていた上野のサウナを「閉鎖する」と言われ、自主営業を始めてしまった従業員たち。
7.伊藤剛 渋谷という街全体を「キャンパス」にしたシブヤ大学を作り、若者に時代を問う起業家。
8.中下大樹 引き取り手のない貧しい人の遺骨を預かり、身寄りのない人の葬儀を手掛け、時に自殺現場に駆けつける僧侶。
僕は読んでいて本当に勇気づけられた。自分なんてまだまだ青い。守られている。贅沢だ。彼らは資本主義がもたらす不幸や不条理と闘いながら、活き活きと人生を歩んでいる。この本は借り物なのでいづれ返さなければいけないが、僕のバイブルになりそうな本だ。疲れた時に活を入れてくれる本を見つけたよ。やっぱり購入だな。雨宮処凛さん、ありがとう!
なお、今年に入って読んだ残りの2冊は以下の通り。これらもとても素晴らしく面白かった。でもどっぷり奥深いので時間がかかったけど。
■沖縄の真実 ヤマトの欺瞞 宮台真司・神保哲夫
■日本の独立 植草一秀
登録:
投稿 (Atom)