2011年4月21日木曜日

原発が日本の現状を露にする --資本主義の歪み--

僕は大学を卒業し社会人となって22年目になる。21年の社会人生活の中で、公私に渡って多くの人達と出会う事ができた。その中で、ビジネスにおいて「この発言は如何なものか?」と思うような事を口にする人に出会う事がある。例えばこんな発言だ。
...その方がいらっしゃる地方に豪雨なので災害が起きたときなど...
「この度は大変な被害でしたね。どのような状況なのですか?」
「いやぁ、もうちょっと被害大きかった方が良かったね。これじゃあ災害復興の仕事も中途半端だよ。金にならないね。」
きっと発言している方は冗談のつもりなのだろう。そういう時は「あー、そうですか。」と適当にかわす事にしているが(きっと悪意はないという前提で)、しかし冗談にしてもこのような発言は道徳的にどうなんだろうと思います。僕が青臭いのだろうか?しかもこのような発言をする方は意外に多かったりする。冗談でも子供には聞かせたくないセリフだ。僕の知り合いで石油業界に勤務している知人がいて、2001年の9.11の直後にその知人に何気なく
「いやぁ、大変な事が起きたね。アメリカとアフガニスタンが戦争にならなければいいけど」と言ったら
「あ~、適当に爆弾落として終わりじゃない?まぁ人が死なない程度にさ。アメリカだって石油を安く手に入れたいだろうからさ。」
その時はあまりに意外な事を言われたのでビックリして怒りもできなかった。ビジネスによってかどうかよく分からないが、人の不幸に対しての感覚が鈍っているのであろうか?僕には理解できない感覚だ。

原発という巨大なプラント工事・燃料の重量に対して想像を絶する電力エネルギーを出力するによる費用対効果・電力会社が独占的である事による電気料金の高さ、収益の大きさ・巨額の広告料や裏金などでマスコミや政治家を利用したプロパガンタ。極端に言えば、金のためなら何でもやるという姿勢。最近で言えば、計画停電とは一体何だったのかと思う。もうかれこれ行われていない。これは一般家庭や企業努力の賜物か?いや、元々電力は足りていたと社民党党首・福島瑞穂議員はツイッターで書き込みしていた。ほんの一部の連中がこのようなふざけきった事を考えるのだろう、せめてこの大災害の最中である今はそう思いたい。でも人は何故、決して正しい行為とは思えない事に対してもビジネスという言葉で表現してしまうのだろうね。僕も回り回って、あるいは直接的に恩恵を被っている。公共事業に関わっている仕事に携わっているから。だからいつも思うのです。せめて明らかに無駄なものだけは公共事業投資して欲しくないと。でも日本には50を超える原子力発電所があり、電力は余っている。電力だけではない。地方には車もロクに走らない高速道路や、どう見ても必要性を感じない空港などを作り自然を失っているのが現実だ。
それでも人々の生活がある程度平たく豊かになれば、それはそれで良いのかもしれない。でも現実は違うよ。巨額の富を得たにも関わらず、一番重要な安全面・メンテナンスに関しては「費用対効果が見込めない」などという、単に数値的論理だけの空論で削減されるのだから。作成時に関しても災害の想定を高く見積もる事をせず、それを「コスト削減に成功した」などと表現して、富を一部の人間が握りしめているのだ。実作業者(主に下請け業者)はコスト削減されているのだから収入も少ない。しかし仕事がない(本来あるのだけど)地方に大型事業を持ってきて、その事業に携わる市民を少し潤す事で利権者は巨額の富を得て陰で笑っているわけだ。

しかし今回の福島原発の事故により、その歪みが露になった。その被害の収束を必死に行っている方々は下請け業者や自衛隊や消防隊の方々だ。僕は彼らの体を張った行為に心から感謝と尊敬とお詫びをするよ。電力供給を得ていた1人として正面から向き合わなければいけない。その反面、巨額の富を得ていた人達は表に出てきているのか?東京電力だけではないだろう?原子力保安院や安全委員会を責めていればいいのか?違うよ。もっと多くの人が直接的に関わっていたんじゃないのか?責任論を言ったところで災害が止まるわけではないが、せめてもう福島の悲劇を2度と呼ばないようにしようよ。原子力という人間のコントロールを超えた存在によって日本が無くなるかも知れないよ。

今日、こんな記事を見つけた。言葉を失います。

福島が殺される



2011年4月20日水曜日

原発が日本の現状を露にする --楽観論--

昨日の投稿の続き。今日は「楽観論」について書くことにする。(昨日の動画も下に添える)

1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見

2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた

僕はこの楽観論は日本の至る所に蔓延っている主たる問題だと常々思ってきた。「事なかれ主義」「性善説」「なんとかなるさ」ざっとこんな言葉が頭に浮かぶ。要するに、実現するかどうかの裏付けがないまま事が進み、後付けで何とかしようと取り繕う姿勢だ。よくあるよね?
例えば僕が知人から聞いた話だ。新しい商品(業務パッケージ)に向けてのプロジェクトが発足された。本来ならばこのプロジェクトの発足時から技術者を入れておくべきだ。でないと本来工程表や稼働時期予測などができない。しかしこのプロジェクトは一部上層部(役員・株主)で希望的観測による発売時期目標が定められ、知人が参加した会合では関連会社を含めた大々的な発表会になっていた。そもそも商品のコンセプトも決まっていないのに、である。商品発売は10か月後!ダルマの目入れ式は粛々と進む。知人は絶対無理だと心の中で叫んでいたのだが、とても言い出せる状況にない。そして宴もたけなわの頃、1人の出席者が「ところで、10か月で大丈夫なの?」...『あの時無理だって言えば良かったんだ。今でも後悔している。俺たちが開発している商品は技術計算も多く含むので問題が生じると訴訟問題になるし、過去の商品でお客様から戴いていたご要望・開発者として実現させたい夢などもあったから。でも全体が突き進んでいるあの場では言えなかった。それに何の根拠もないが、(気合を入れて頑張れば何とかなるかも知れない)とも思ってしまった。精神論が出てしまったんだよね。』何とか回復可能な工数なら挽回できるが、そもそも商品コンセプトという一番大切なマップがない。営業を含めた商品構想会議もそう簡単にはまとまらない。個々の営業事情もあり、丁寧な議論とプレゼンを重ねれば時間がかかって当然だ。工期が差し迫るとソフト開発会社をあたりまっくて人員増員作戦。しかし新規参入のプログラマには商品コンセプトなどそうそう簡単には伝わらない。意図せぬ成果物。作っては修正。部長は「元々10人体制で工数1年なら、20人で半年に縮まるはずだ。」そんなに話はうまく進まない。構想・設計・新規技術の習得・作業者への伝達・検査・上司への辻褄合わせ的な状況報告。殆ど休みなし。度々続く徹夜の日々。結局、営業や技術者が反対するにも関わらず上層部に押し切られ発表後1年半で商品販売。商品が不安定なため市場の不評を買い、落ち着くまでに3年。知人は『2年あれば内容も品質も安定した商品が完成したと思う。あの頃は始めの期日に何とか間に合わせようと兎に角作る事にしたので、作業も混乱したし後戻りも多かった。初めて一緒に仕事する委託者に伝えるのは難しかった。それに多く蓄積していた要望も何とか入れた形の商品にしたかったから。でも何を言っても今となっては言い訳だけど。』

...これって僕の会社の事かって?...秘密だよ(笑)

「市場が今攻め時だから」「営業が売り玉がないと嘆いている」「ウチの商品は市場から陳腐化されていると思われてないかな?」営業の苦労・上層部の狙い・充分に理解する。僕も営業同行やお客さんへのサポート活動で痛いほど感じてきたから。でも出来ないものは出来ない。しかし実務者はそれを言い訳と自問自答する時があるのだ。そういう形で、何の根拠もない構想と希望的時期が有無を言わさぬ全体行動へと繋がり、理論武装だけでは止まらない強いうねりに流される。こういう経験をお持ちの方は世の中に多いと思うのだが。

...でも絶対してはいけない事なのだ。結局は品質を損ねるから...

このような話を、元原発技術者の菊池さんが語っていますね。僕は菊池さん他作業員のご苦労を痛いほど感じる。ジレンマがよく分かる。そのような問題を生み出すのは、よく実情を理解していない人の「楽観論」と、それを何とか実現しようとする実務者の「精神論」なのだと思います。しかもその楽観論の根拠が単なる金の話だとしたら、もう悲劇だ。

神保哲夫氏・宮台真司氏・青木理氏など「のマル劇トークオンデマンド」で「あえて最悪のシナリオを考える」という特集を組んだり、上杉隆氏が「まずは最悪の状態を想定してオフセットを大きくとり、徐々に狭める」という発言をしていた。彼らは「パニックを生む原因になる」とか「風評被害に繋がる」などと批判を受けたらしい。しかし僕は別に責められる行為とは思わない。むしろできる限りのシュミレーションを行う為に考えられうるシナリオを想定して其々に行動指針を定める事は重要な事で、単にその中で最悪と思う所をピックアップして基準を定めた話に過ぎない。想定外のアドリブ行動をなるべく回避するためにシュミレーションするのだから。自己の行動を安全にするためなのだから。
下らない例だけど、将棋だって相手の打ち手を想定しながら勝負するよね?麻雀だって手持ち13パイで勝負できるほど自分に自信が無かったら安パイ持っておくでしょ?それが最悪のシナリオ想定だよ。普段からやっている事じゃないか。

原発が日本の現状を露にする --大型工業地帯の盛衰--

僕は原発に対してこんなにも仰々しいタイトルほどの知識も無く、こんな事を書いて良いのかという疑問を自らに抱きながら、あえて書く事にした。
昨日・そして今日視聴した2つの動画がある。この2つの動画は、原発を通して日本の現状を様々な面で露にしてくれたと思っている。

1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見

2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた

今日は「大型工業地帯の盛衰」について書いてみたい。「企業誘致」という言葉を聞く事がある。大企業や大型公共事業を誘致する事で地元に雇用と富を生み出し、”経済発展”する事でその地方の住民の生活を豊かにする事を目的にしたものだ。これは決して悪い事ではない。雇用を生み出すのだから喜ぶ住民も多いだろう。しかし大型であればあるほど、繁栄も大きければ衰退も大きい。
僕は3歳で千葉の君津市に福岡県から引越してきた。新日鉄に働いていた父の転勤のためだ。福岡だけでなく北海道からも君津に越してきた人達も多く、僕が住んでいた近くには地元住民よりも移住者の方が圧倒的に多かったように記憶している。社宅に住んでいた頃は、周りには福岡から転勤してきた家族が殆どで、僕は千葉に居ながら九州弁で過ごすという今から思えば不思議な環境で育った。新日鉄は当時物凄い勢いがあり、僕の家族は社宅(賃貸)から一軒家に住み替えてそれなりの暮らしをして来た。僕の父は製鉄業や地元の土地開発事業などに携わっており、農地・山を商業地・ゴルフ場などに変えていく様を自ら手がけていたと、父の葬儀の際参列して戴いた方々から聞いた。僕が引っ越してきた頃から、君津は見る見る内に変わっていった。僕もその様子を見て育った。
しかし僕が高校の頃位からだろうか、新日鉄は売り上げを下げてきた。今から思えば軍事産業の恩恵も受けていたんだろうね。工場の休止・閉鎖が少しずつ実施されるようになった。そして僕が大学に行く頃に大型のリストラが断行された。僕が小さい頃からお世話になった方々の何人かも対象になった。工場は不必要になったからといって何処かに譲る事もできないし、かと言って盛況な時は必要性もあり工場の規模は広がっていく。今は君津の社宅の一部はゴーストタウン化している。住む人もいない。少しずつ住宅街に変えようとしているみたいだが。
何事にも盛衰はあるもので、それ自体が悪いとは言えない。恩恵も受けた身なので悪いなんて言えない。でも大型化していけばいくほど衰退期の傷(リストラなど)は当然大きく、また残った使用しない工場は他の利用も難しく、農地や漁場にも戻らない。そして幼少期を過ごした僕の世代は、東京が近い事もあり、また元々地元民ではない為か多くは地元から離れていった。そうなると大きなゴーストタウンが出来上がるのだ。これは、経済成長に必死だった時代ならともかく今の時代には適合しないように感じる。もっと自然を重視し、不要な際には他利用が困難な産物を極力生まない事が重要だと思う。しかもこれから人口は確実に減少していく。地元が本当に必要な小さなコミュニティ企業を増やしていく事がこれから求められるのではないかと思う。

今、福島原発が地震と津波による災害で事故になりまだ事態の収束は向かえていない。それにも関わらず原発の新規増設が図られるような計画が噂されている。人口減少により電力需要も減る事が予想されているにも関わらずである。さすがにおかしいよね。それに原発である必然性もない。風力や太陽光などの自然エネルギー利用で良いではないか。僕は今の東北の悲劇を目の当たりにする状況下であるこの期に及んで必要なき公共事業に走ろうとする一部利権者の心理など考えたくもないのである。

2011年4月14日木曜日

J Mascis♪


...何かまた、冗談も言う気分で無くなってきたし、こんな音楽の事を書いていいのかという気もするけど...
今、J Mascis のソロアルバム『Several Shades of Why』 を聴いています。彼はもう充分ベテランになった『元祖オルタナティブ』とも言うべきDinosaur Jr というバンドのヴォーカリスト&ギタリストです。Dinosaur Jrと言えば爆音ギターで有名なのですが、このアルバムはほぼ全編がアコースティックで構成されており、彼の脱力的でもある優しい歌声と美しいメロディが融合されて、心温まり洗われる世界が展開されています。素晴らしいです。Dinosaur Jr も素晴らしいバンドなので後日書き込みしようかと思っているけど、まず今日はこの作品のみという事で。あ、そうだ。僕のツイッターでのアイコンは下らないものが多いのだけど、実はDinosaur Jr のCDジャケットを結構意識しているのですよ。「脱力系」という意味で。

でも、今年になってから素晴らしい作品にいろいろと出会っています。音楽を好きでよかった。今の僕は音楽と家族に救われています。


今何が必要なのだろうか?

Twitterの投稿でのリンクから、JBPressのある記事を見る事ができた。

『災害派遣 現場自衛官から上がる悲痛な声』

読んでいて心苦しくなった。震災が起きてから、現地での救助・物資輸送・復旧作業に全力を挙げる自衛隊の方々や、福島原発の復旧作業を体を張って行っている作業員の方々には本当に頭が下がる思いです。言葉すら出て来ない。ただ「体を壊さぬように。そしてお願いします。」という気持ちのみ。このような過酷な作業を行っている方々がいるからこそ我々の生活が成り立つのだ、という事を改めて感じ得る。
本当に多くの義援金や物資も、国内外から届いているようだ。また自発的に被災地への支援行動を起こす人達やNPOの方々の話も聞いている。芸能人も数多く被災地に行って援助しているようだ。僕の義兄も、以前お世話になったという事で、長野から仙台方面まで車で2往復して灯油などを届けたと言っていた。3月に行ったNPOではガス会社の1社員が仕事で使うトラックに支援物資(食料・生活用品・水・医薬品など)を目いっぱい積んで、特にあてもなく福島の原発避難地域に向かって突っ込んでいった。聞くと「小さな子供がいる(1歳)ので、被災地の子供の事を思うといてもたってもいられない。」と言っていた。だから行くんだ、と。僕はトラックに一緒に荷物を積み込みながら本当に彼の事を誇らしく思った。「気を付けて!」と言うと「行ってきまーす」と大きな声をトラックの中から出していた。素晴らしい行動力。「人間力」ってこういうものなのでしょうね。それから比べれば僕なんてちっぽけな存在だ。何もしていないのだから。

一昨日・昨日と、「菅総理記者会見」「東京電力 清水社長記者会見」を観た。僕は御二方とも丁寧な受け答えをしていたと思います。今までの対応が本当に適切だったのか?という事も今は考えないようにしようと思う。それ位にみんな一生懸命やっているのだ。今後の見通しスケジュールなど、殆ど想定外な事象が起こっていて何とか処理しようとしている現状では言えないだろう。とにかく目の前の事を対処するしかないのだから。ジャーナリストの方々の中にはシビアな質問を投げかける方々もいた。「気持ちは分かるが、今聞くべき質問でもない内容もあるなぁ」と思いながら聴いていた。でも彼らは報道という仕事で必要だから質問をしている訳で、我々一般人は、その彼らに同調して評論家めいた事を言っても何もならないと思う。どんな些細な事でも、今を改善する行動や思考・提案など、みんなでするべきじゃないのかな、と。ただ一つだけ東電社長も菅総理も今後の原発について「発電所の再点検」は言っていたが「他の発電方法への置き換え」に関して言明しなかった事は残念でしたけどね。彼らは権限もあるわけだし、今の福島の状況を思えば「原発は無くす方向で」と強く言うべきだったのではないでしょうか?今言わなければまたこの議論は振り出しに戻りそうな気がするのだ。

2011年4月11日月曜日

鶏は偉大なり(卵の底力) ~オヤジなりに食を考える Part6~

3月24日~29日の間、毎年恒例の「カミサン実家帰省(春休み編)」があり、その間僕は1人暮らしだった。1人の時は極力自炊するようにしている。その時の話。
今回は、食料の買い置きが殆ど無かった。あるのはお米と冷凍のパン・そして卵。初日はその状況を知らずに帰宅し、冷蔵庫を見て「あちゃ~*_*」。しかし気を取り直してチャーハンを作った。

1.茶碗3杯分くらいのご飯の上に卵を割って、軽く混ぜる。(卵2個)
2.フライパンに油を敷き、1.を入れて炒める。
3.塩・しょうゆ・日本酒を適量かける。
「胡椒ちゃ~ん♪どこあるの?」なんて気持ち悪く歌いながら探していたら、何と切らしていた(泣)。仕方なく少しあったカレー粉を入れて再度炒める。
4.おしまい!

これをチャーハンと呼んで、中国人は許してくれるのだろうか?しかし炒飯という漢字から考えればそのままだ。うん!チャーハンだ。しかも意外に美味かったりする。おお!新しい発見だ!(大袈裟)

 今回の格言
 「チャーハンに具は要らない。卵があれば十分だ。」


これを陳健一に伝えたい。きっと鼻で笑われるであろう。

息子が入園!


今日も嫌な余震があった。福島が震源地らしい。被災されている上に相次ぐ余震。しかも原発の心配もある。何一つ被災者の力になれないし、そんなに簡単な話ではない事も承知しているが、被災者の方々が早くこの被害から救われますよう心からお祈りするだけです。

昨日、息子の幼稚園入園式があった。ここ何か月か急に「ママ!ママ!」とやたらママっ子になっていたし、カミサンが買い物にでも1人で行ったものなら大泣きしていた息子。「幼稚園には行かん!」と宣言もしていた。そんな息子を見ていたので「まぁただでは済まないだろうな」とは覚悟していた。昨日は朝から上機嫌で普通に園服に着替えてはしゃぎ回っていたので「お?大丈夫か?」と少しだけ安心していたのだが、案の定入園式の最中は大泣き通し。撮影した動画を見ると、はっきりと「ママ~!」と叫んでいた(笑)。式の間、担任の先生がずっとウチの息子に付きっきり。先が思いやられるorz 担任の先生(2人)には「ウチの息子の世話は大変でしょうが、宜しくお願いします。」と頭を下げておいた。明日から朝の迎えのバスにちゃんと乗ってくれるのだろうか?

写真は入園式が始まる前に撮影したハイテンション時の息子のポーズ。我が息子ながらアホだ(笑)。最近仮面ライダーに夢中で、自分がオーズ・タトバコンボだと思い込んでいる。単純な奴。でも大きく育って欲しい。お前にはパパの様にこじんまりせず、スケールの大きな男になるように「たいよう」という名前を付けたんだから。

そして娘(横)は小学3年生。早いなぁ、時の経つのは。とにかく、2人には今まで通り素直で正直な子に育って欲しいだけです。

2011年4月7日木曜日

音楽は心を洗う事ができるのか?

The Journal において今日、田中良紹さんの投稿が載せられていた。『天罰』というタイトルだ。 実際に地震・津波・そして原発事故の3重の苦しみを味わっている福島の方々に対してはこの言葉を使う事は申し訳なく思うが、しかし原発事故に関しては、特に関東地方住民にとってはこの事故は天罰だと僕も思う。元々は原子力発電所に対する「多くの人の無関心」がこの事故の奥深い原因にあると思う。僕もその1人だ。原子力爆弾による被爆を過去に受けていたにも関わらず、その苦しみも子供の頃から親や学校やテレビなので充分に教えられたのに、同じ原子力を使用する「発電所」に対しての危険度を理解しようともしていなかった。世界に原子力発電所を売る戦略には多少の違和感はあったが、しかし違和感止まりでそれ以上の深い考察もしなかった。作業員の被爆問題も知っていたが、「原子力発電所は安全だ」という言葉を鵜呑みにしていた。昨日、海水に高放射線量の汚水を大量に流したと政府及び東京電力は発表した。僕はこの事実のみを受け止める事にしている。それまでの対策に不備があったのかも知れない。しかし、このような事に及んだ本当の事実はその内に明かされるであろう。なので今は一時も早くこの原発事故が鎮静化する事を祈るとともに、実際に復旧作業を必死に行っている方々を称えながら、世界の方々に日本人はお詫びをしなければならないと思う。

優しい音楽を聴いて、そして心を洗おう。目覚めよう。日本人はエコノミック・アニマルになり過ぎたのだ。世界の環境を守るべく、1人の国際人として責任ある行動を取らなければならない。大きな海々が世界を繋いでいるのである。世界は一つなのである。環境汚染での「ガラパゴス化」はやめにしなければならない。

2011年4月6日水曜日

3.11大震災 そして その後 Part3


今日もまた書き連ねてみようと思う。先週から今日までの事・そして今まで書いていないが印象に残っている事。
先週から「まずは自分に課せられた仕事をこなそう!」と気持ちを引き締めた。先週・今週にかけては、以前に比べ残業は減ったがその分朝の出社を早め、それなりに仕事に没頭した。そんな中で、先週水曜日に出向先の社長と在籍会社の役員に呼ばれ、ある重大な発表を聞いた。ずっと恐れていた事が現実になった。しかし僕はその告知を受けながら、残念な気持ちになりながら意外に冷静に対応していた。この話は会社として公表されていないために詳しくはここまでにするが、間違いない事実として僕はとある地方に転勤になる可能性が大になったという事だけははっきりした。受け入れたくない現実。最悪とも言える結末。しかし、それも自分の頑張りが不足していた事が原因なのだ。そんな大変な内示があったにも関わらず、まだ社内では公になっていないため、今週も何事もないかのように仕事をしている。そして今日に至るというわけだ。今日のTwitterのTLには、「福島原発 再臨界か!?」なんて報告も入ってきている。でも、万が一(どうも可能性が高そうだが)そうなったとしても、その事実を踏まえて対応するしかないのだ。子供には罪もないし放射能被害などで将来を無駄にしてほしくない。何としても子供だけは救う。今考えているのはそれだけだ。
その他の事も書いてみたい。大地震の次の日の事だ。娘が書道で何か書きたい、と言い出した。大地震を経験し、何かを残しておきたかったのだろう。「何を書こうかな」というので「『平和』なんていいんじゃない?」と薦めてみた。「『平和』かぁ」娘は僕たち家族の前で書き始めた。その後僕は会社に行き、母を実家に連れて戻ったのだが、僕が家を出た後に娘は別の言葉を書いたようだ。それが上の写真の字です。
もう一つ。3月26日(土曜日)僕は偶然、昼の3時頃に池袋の駅前に居た。そこでは元共産党の小池晃さんが東京都知事選の選挙演説を行っていた。(どうも世の中には共産党に対する色眼鏡的な見方があるようだ。少なからず僕にもある。しかし共産党支持者は意外に多い事も知っているのだが。)今まさに直面している震災・原発被害、そして以前から問題視されている病院不足、そしてあまり知られていないが実は東京は日本で一番高齢化が進む事など(団塊の世代が地方から移り住み、生まれ故郷に戻らないため)、東京が抱えている諸々の問題点に対する自分の考えを語っていた。東京都民ではない僕だが、職場が東京という事もあり、その演説に聞き入っていた。(15分位立って聞いていたように思う。)しかし、若者を中心とした、駅前にいる人たちは殆ど立ち止まる事無く”スルー”していたよ。その様子を見て、僕は思ったよ。「何だよ、日本・特に東京の人たちは何も変わっていないじゃないか!」とね。ダメだこりゃ。東北の被災者の痛みを感じている様子もない。福島原発は関東地方(特に東京)の電力供給のために、関東圏外の福島県に作られた事に対する自覚も見えない。悲しくなった。でも、僕はそんな世の中の空気には流されないよ。「日本を変える!そして子供達世代に引き継ぐ」この気持ちを強くした。

最後に暴言一発。「愚民政策」って言葉があるよね。官僚や政治家などの権力層が、国民に事実を伝えないで都合のいい情報だけを新聞やテレビで報道して国民の意識を高めない作戦、みたいな。僕は思うよ、「愚民政策」じゃないって。実際「愚民」なんだよ、今の日本の大多数は。僕も含めて人の痛みが理解できない愚か者なんだと思うよ。僕は3月26日のあの池袋の駅前を見てそれを確信したんだ。

2011年4月3日日曜日

HanoiRocks♪ ~Rockバカ(笑)~


最近、また少しずつ音楽を聴く気になってきた。数日前に購入した Micheal Monroe の新作『Sensory Overdrive』を聴いて「こりゃまたド・ド・ド・直球な作品だな(笑)」と、何とも”マイケルらしさ”にニヤリとさせられ、今はHanoiRocksの2003年の復活後の作品を聴きながらこのブログを買いとりますです。(3作出して解散しちゃったけどね。残念(T_T)) 以前(約5年前)に、僕はブログで復活前までのHanoiRocksを書いていたことがある。(その位大好き)
「HanoiRocks!!!」
「HanoiRocks2!!!」
「HanoiRocks3!!!」
「続きは次回に♪」なんて言いながら、その頃はブログをやめてしまった。大ウソツキだ(笑)。まぁそんな事はどうでもいいが、第一次HanoiRocksを一言で言えば「支離滅裂なハチャメチャバンド」である。音楽性の高さ・演奏テクニックなんて微塵も感じない。殆ど素人丸出し。しかし何ともかっこいい。何と彼らは16歳程度でバンドを開始し、17.8歳にデビューして解散時は22.3歳の頃という、若さゆえの爆発という感じそのものだった。しかもフィンランド出身という。当時はフィンランドにはロックバンドなど殆ど存在しなかったらしい。当時の僕の友人(高校~浪人時代)は1人以外はこのバンドを酷評。なので当時はこのバンドの良さを知る数少ない1人、という変な優越感もあった(笑) 今回は復活後の3作を書き連ねる。
1.[Twelve Shots On The Rocks]
復活を飾る渾身の一撃!!!とも言うべき素晴らしい作品。「過去のHanoiRocksらしからぬ音の重さとハードさ」という意見も多いが、それはこの作品の音楽面(サウンド・楽曲)にマイケルが大きく関わっているためだと思う。以前のHanoiRocksは殆ど音楽面ではアンディのワンマンバンドだったため、この作品で初めてマイケルがアンディと対等な立場で音楽面で融合したと言えると思うのだ。僕はこの作品を聴いた後、「もうこれからはストーンズを聴く機会がメッキリ減るだろうな。」と思ったものだ。ストーンズを超えたと思ったよ、はっきりと。いやそりゃストーンズは偉大だし、大好きですけどね。でもこの作品を聴いたら、僕の気持ちも何となくわかるのではないか、と。その位名作だと思います。この作品は僕が結婚した翌年に出た作品という事もあり、カミサンにも相当聴かせた。なのでカミサンも割りとお気に入りです。
[お奨め曲]
・Obscured
・People Like Me
・In My Darkness Moment
・A Day Late, A Doller Short
・Watch This
・Gypsy Boots
2.[Another Hostile Takeover]
過去の魅力であった『音楽的支離滅裂さ』を思い起こさせる、彼ら(というかアンディ)特有の『いいんだか悪いんだか分からないヘンテコメロディ』を炸裂させた復活第2弾!この作品は聴けば聴くほど好きになった。(つまり最初は「うーん、何だかなぁ(笑)」という印象)この作品が好きだ!!と言う人は明らかに彼らの中毒症であると断言できる。しかし所々に見せる甘く切ないメロディラインが秀逸!
[お奨め曲]
・Back in Ya Face
・Love
・Eternal Optimist
・You Make the Earth Move
3.[Street Poetry]
うほほ、また凄いカッコいい作品を作ったなぁ!!この作品を最初に聴いた印象だった。兎に角楽曲のまとまりぶりとカッコよさは3作品で一番だと思う。深さという点で少し物足りないが、でもここまでの作品を作る事ができるなんて、ここまで応援して来た甲斐があるってもんだ(号泣)。あまりにもシンプルでストレートな『ロック賛美曲』みたいな曲もあり、かなり楽しませてくれる。
[お奨め曲]
・Hypermobile
・Street Poetry
・Fashion
・Teenage Revolution
・Worth Your Weight in Gold
いやいや、僕の中ではHanoiRocksの存在と地位はかなり高い。もし誰かに「Rockとは何ぞや?」と聞かれたら、僕は「ストーンズ、エアロ、ドールズ、ピストルズ、そしてハノイロックスを聞いてみなよ」と言うでしょう。その位の「素晴らしきB級バンドの代表」です。




3.11 大震災 そして その後 Part2

この前の続きを、また思いつくままに書き連ねたい。
JRの運行本数がまだ正常時の5割程度の線もあったため、僕の出社状況は遅刻したり休んだり、また帰りはとにかく家に帰り着く事を重視して早めの帰宅にしていた。夕方の大型計画停電宣言が出た日(確か3月16日?17日?)など、夕方4時半位には会社を後にした。「仕事にならんな。気分的にも節電的にも」これが当時の気持ちだった。これだけの災害が東北で起きているのに、また被災している関東地区が計画停電対象になり、にも関わらず東京23区のほぼ大半が停電対象にならない矛盾などもあり、今まで通りに仕事する事が本当に良いことなのか?という素朴な疑問もあった。しかし、大型計画停電宣言した日の赤羽駅の混雑と押し寄せる人波ぶりは怖かったよ。集団の足音がたまたまシンクロしたらしく、「ザッザッザッ」という無機質な足音が襲い掛かるように響いていた。東京という大都市で働いている事がつくづく嫌になった瞬間だった。自分はコンピュータ(IT)分野の仕事に従事している。だから電力の重要性も十分に感じているし、多大な電力量を必要としている企業群の一員なのだ。それは否定しない。だけど、そのために福島の原子力発電所が立ち、そのためにその電力を利用していない地方が放射能で苦しんでいる事をどのように受け取れば良いのか?大した事はできないにしても、節電には努力すべきだし、そもそも今のこの日本の状況で今まで通りの仕事をしていていいのか?他にやるべきことがあるのではないか?そんな思いが頭によぎる。正直仕事にならなかった。
せめて被災地に支援物資を送ろうと、物資提供先を検索した。その前に埼玉スーパーアリーナに被災者が来ていた事を知っていたので「埼玉スーパーアリーナに直接行こうかな?」とも考えたが、新聞記事にもなるほど認知されていて多くのボランティアが来ていた様子だったので、他の箇所を調べていたら『NPO埼玉ネット』の存在を知った。そこで生まれて初めてボランティア活動(支援物資の仕分けとトラックへの荷積み)を行った。支援物資を持って行き、そのまま作業を手伝ったのだ。(3月20日(日)と21日(祝))殆ど『物流会社の荷物運搬人』という感じでかなり肉体的にハードだったが、少しだけ世の中の為にはなったか?という思いになった。そこには20人程度の、僕と同様に初めてボランティア活動を行っている人達がいた。元トラック運転手、ガス会社勤務、主婦、会社事務員、中学教師、ディズニーランド従業員、学生、etc.。みんな聞いてみると似たような思いを抱いていた。『この災害に対して何かがしたい』ただそういう気持ちだった。被災者の苦しみはまだまだこれからも続くし、2日程度のボランティアで何かが救われるわけでもないだろう。でも何もしないよりはまだマシだった。それは自分自身の気持ちのためでもあった。うまく言えないが。
次の日(22日(火曜日))は朝から雨だった。20日夜から雨は降っていたし、大丈夫だとは思ったが(しかも前の日には荷詰めのために思い切り雨浴びまくったし、今更という気もあったが)原発爆発後の初めての雨だった事もあって『今日は無理して出社すべきではない気がする』と思い、部長と後輩にそのようなメールを朝早く送ったら、後輩からは「大丈夫ってテレビで言ってますよ」部長からは「休みは個人的判断に委ねます」と返信来る。ふーん。意外にリスク回避の意識はないのね。そう思って少し遅れて出社した。こういう「今まで通りの行動指針」が電力消費量を軽減化できない事に繋がるのではないかな?なんて下らない事考えたりした。疲れが溜まっていたのか、休みに誰かから風邪をもらったのかわからないが、水曜日に発熱して寝込んだ。木金は出社したが咳が止まらず、また土日に寝込んだ。この頃はこと仕事という面においてはパフォーマンス的に最低だった。
...今日はこんなところで。