この前の続きを、また思いつくままに書き連ねたい。
JRの運行本数がまだ正常時の5割程度の線もあったため、僕の出社状況は遅刻したり休んだり、また帰りはとにかく家に帰り着く事を重視して早めの帰宅にしていた。夕方の大型計画停電宣言が出た日(確か3月16日?17日?)など、夕方4時半位には会社を後にした。「仕事にならんな。気分的にも節電的にも」これが当時の気持ちだった。これだけの災害が東北で起きているのに、また被災している関東地区が計画停電対象になり、にも関わらず東京23区のほぼ大半が停電対象にならない矛盾などもあり、今まで通りに仕事する事が本当に良いことなのか?という素朴な疑問もあった。しかし、大型計画停電宣言した日の赤羽駅の混雑と押し寄せる人波ぶりは怖かったよ。集団の足音がたまたまシンクロしたらしく、「ザッザッザッ」という無機質な足音が襲い掛かるように響いていた。東京という大都市で働いている事がつくづく嫌になった瞬間だった。自分はコンピュータ(IT)分野の仕事に従事している。だから電力の重要性も十分に感じているし、多大な電力量を必要としている企業群の一員なのだ。それは否定しない。だけど、そのために福島の原子力発電所が立ち、そのためにその電力を利用していない地方が放射能で苦しんでいる事をどのように受け取れば良いのか?大した事はできないにしても、節電には努力すべきだし、そもそも今のこの日本の状況で今まで通りの仕事をしていていいのか?他にやるべきことがあるのではないか?そんな思いが頭によぎる。正直仕事にならなかった。
せめて被災地に支援物資を送ろうと、物資提供先を検索した。その前に埼玉スーパーアリーナに被災者が来ていた事を知っていたので「埼玉スーパーアリーナに直接行こうかな?」とも考えたが、新聞記事にもなるほど認知されていて多くのボランティアが来ていた様子だったので、他の箇所を調べていたら『NPO埼玉ネット』の存在を知った。そこで生まれて初めてボランティア活動(支援物資の仕分けとトラックへの荷積み)を行った。支援物資を持って行き、そのまま作業を手伝ったのだ。(3月20日(日)と21日(祝))殆ど『物流会社の荷物運搬人』という感じでかなり肉体的にハードだったが、少しだけ世の中の為にはなったか?という思いになった。そこには20人程度の、僕と同様に初めてボランティア活動を行っている人達がいた。元トラック運転手、ガス会社勤務、主婦、会社事務員、中学教師、ディズニーランド従業員、学生、etc.。みんな聞いてみると似たような思いを抱いていた。『この災害に対して何かがしたい』ただそういう気持ちだった。被災者の苦しみはまだまだこれからも続くし、2日程度のボランティアで何かが救われるわけでもないだろう。でも何もしないよりはまだマシだった。それは自分自身の気持ちのためでもあった。うまく言えないが。
次の日(22日(火曜日))は朝から雨だった。20日夜から雨は降っていたし、大丈夫だとは思ったが(しかも前の日には荷詰めのために思い切り雨浴びまくったし、今更という気もあったが)原発爆発後の初めての雨だった事もあって『今日は無理して出社すべきではない気がする』と思い、部長と後輩にそのようなメールを朝早く送ったら、後輩からは「大丈夫ってテレビで言ってますよ」部長からは「休みは個人的判断に委ねます」と返信来る。ふーん。意外にリスク回避の意識はないのね。そう思って少し遅れて出社した。こういう「今まで通りの行動指針」が電力消費量を軽減化できない事に繋がるのではないかな?なんて下らない事考えたりした。疲れが溜まっていたのか、休みに誰かから風邪をもらったのかわからないが、水曜日に発熱して寝込んだ。木金は出社したが咳が止まらず、また土日に寝込んだ。この頃はこと仕事という面においてはパフォーマンス的に最低だった。
...今日はこんなところで。
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