2010年11月23日火曜日

水の力 ~オヤジなりに食を考えるPart2~

先週の木曜日の夜、娘から僕の携帯に電話がかかってきた。
「どうしたの?」「パパ、蒸す器械を買っていい?」「蒸す器械?蒸すんだったら、器械じゃなくてもいいじゃん」娘は学校から、家で芋パンケーキを作りなさい、という宿題を与えられたらしい。そのパンケーキを作るために蒸し器を買おうとしていたら、たまたま電気店で『ティファール・スチームクッカー』を見たらしく、それが欲しくなったらしいのだ。とりあえず僕も見たいので、考えさせてとその場では電話を切り、土曜日に娘と見に行った。100種類のレシピ付でいろいろ使い勝手もよさそうなので、価格的にもそれほど高価ではないので(僕は7980円で購入)即購入して、早速娘と芋パンケーキを作った。いやぁ、楽しい。透明で中で蒸される状態が見れる事が実に楽しいのだ。日曜日の夜は妻の吹奏楽練習に子供達が付いて行ったので、僕がその日の夕飯を作った。『白菜と豚肉の蒸し物』だ。作り方はいたって簡単。白菜を1/4に切り、その葉の間に塩コショウした豚バラ肉を千切りの生姜と一緒に挟み、だし汁で1時間蒸す。これだけ。でもメチャメチャ旨い!!鍋と同じなのだが、具財の自然なダシが水分と熱により染み渡り、素晴らしく柔らかい食感と旨みのハーモニーをなすのだ。調味料といえばだし汁(今回は中華料理用のウェイパーを使用)くらいだが、これも要らないのではないかと感じた。蒸す力・水の力がなす仕事の素晴らしさを改めて感じた次第だ。これははまりそうだな(笑)。う~ん、調味料に依存しない食の楽しさ、病み付きになりそうである。おしまい♪

2010年11月19日金曜日

奥華子♪ ~聴くと何故か涙が出てくるアーティスト Part2~

 今日は奥華子さんを語りたいと思います。とは言っても、実はあまり詳しくないのです(T_T)彼女を初めて知ったのは、確か5,6年前だと思います。自宅近くにあるスーパー・イオンの1階にある広場で、彼女がミニコンサートを行ったときでした。まだ彼女がメジャーデビューしていない頃です。家族で買い物にたまたま来ていた僕は、このようなライブを観る事が好きな性格もあり、かみさんと子供を「カルディで買い物してきなよ」と強引に別行動させて(笑)1人で彼女の歌を聴いていました。初めて聴くにも関わらず、彼女の歌には強い共感を得ました。特に『魔法の人』という歌は心に染み入りました。なので、しばらくして彼女のデビューCDをレンタル店で見かけたときはとても嬉しく、その場でレンタルした記憶があります。(えぇ、そうなんです。レンタルしてしまったのです。ファンとは言えませんねm(__)m)やはり『魔法の人』は素晴らしい歌でした。 それ以来、実は彼女の歌を聴く事もなかったのですが...(どこがファンなんだぁ!?)「お部屋探しマスト」のCMソングを聴いたりして「活躍しているなぁ」と思い出したりはしていました。2,3か月ほど前に、「久しぶりに奥華子さんの歌を聴きたいな」と思い、彼女のオフィシャルサイトのダイジェスト試聴を聴くと、本当に心洗われましたね。その時は自分が音楽好きで本当に良かったと思えた瞬間でした。彼女の作品を1年ほどかけてコンプリートしようかなぁと考えています。 彼女の歌は、「私は私なりに頑張ってるよ」というメッセージに満ち溢れています。飾らない等身大の彼女をひしひしと感じるのです。聴くたびに何故かジワっと涙が出てきそうになります。多分、普段の僕は知らないうちに何か自分以上を演じようとしたり、自分を隠したりしているのでしょう。いいオヤジですから、当然かも知れません。彼女の歌を聴いて涙しそうになる理由は、そんな自分を彼女の歌が気づかせてくれるからだと思うのです。


2010年11月17日水曜日

子供の成長

...ここ毎日、苦笑いしか出来ない低レベルな政治のニュースを見るにつけ、空しい気持ちになる今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?...
いかんいかん、こんな暗い話で始まってしまった。気を取り直してっと...
先々週・先週と、授業参観・市の作品発表展が続き、娘(7歳)の成長を目の当りにする事ができた。合唱やハーモニカ演奏・図工などなど、娘なりに立派にこなしていた。家族として間近に接していて我が子の成長は常に感じとっているつもりでも、やはり改めて見ると「成長したなぁ」と感動してしまう。幼稚園に入園したのがついこの間のような気がするのに。(それは大袈裟か?)
先週日曜日は息子(3歳)と近所の河原に行き、サッカーや野球(といってもボールで遊んだ程度だが)を楽しんだ。そして家の中では、息子がはまっている「ストレッチマンごっこ」「仮面ライダーごっこ」でギャグを交えながら思い切り遊んだ。ウチの子供達はギャグに関しては中々鋭い面が多く、娘は写真を撮るときは大抵”変顔”をするし、息子は2歳くらいから誰から教えられる事もなくノリ突込みをしてみせる。優秀だ。(親バカ)

・・・いろいろな意味で、子供達には大きく育って欲しい・・・

話は変わるが、先日ビデオニュースドットコムを観ていたら、2006年で放送された番組が流れてきて、安部司さん(食品関係の会社に勤めていた方)が化学調味料の実情を内部暴露していた。「よく暴露しましたねぇ」と司会の神保哲夫さんや宮台真司さんが言うと「だって、こんなものを子供に食べさせられないでしょう?」と、子供への罪悪感から告発に至った理由を話していた。司会の宮台さんも子供の誕生をきっかけに家族や共生の大切さを思い知らされたらしい。人間って、やはり子供を持つと変わります。子供からいろいろな事を教わります。なので、大人はその子供の純粋さに対して、やはり責任を持って素晴らしい社会を返さないといけないですよね。ほんの小さな素晴らしさでも。ほんの少しでも。

2010年11月11日木曜日

効率化

実は、僕は3年前にもほんの少しだけブログを書いていた。今読み返すと、何とも幼い文章を書いていたものだと思う。あっと、今も変わらないか。
そんな過去の投稿に、こんなものがあった。文章表現方法はともかく、今も当時の思いと変わらない。というより、もっと「進化の度合いを下げようぜ!!」と思っている。「進化」というより世間一般でいう「効率化」への反発なのかもしれない。
先日、ウチの社長おすすめの本が回覧されたので、2日ほどで読んだ。よくいう「マネージャー論」の本とでも言おうか。読んでみると中には頷ける部分も当然ながら多く、「ふむふむ」と読んでいた。実は僕はかなりの精神論者だと自負している。基本的に人間は気合で何とかなると考えている。出来なくても時間と気合と論理思考で何とか乗り越えられると思っている。なので仕事に関しても別段残業にも苦はなく、最近は少なくなったが以前は事務所で一晩明かすなんてよくある事だった。自分用の毛布もあったし(事務所移転で捨てたけど)今でも寝袋がある。シャワーがあれば、平日は会社に住んでも構わない位に思っている。しかし、だ。大抵こういう本は「右肩上がりの業績を目指す」なんて始まって「効率化」「器械化」「コスト削減」により、短時間での「効率的生産」による利潤を目指すのだ、なんてくくりだ。
ならば言いたい。その結果どうだというんだ?「農作物・食品を大量生産する事での大量廃棄」「地デジ化によるブラウン管テレビの大量廃棄」「ただ刷っただけでは?と勘ぐってしまうような本の売り上げ数の広告」「エコポイントによる買い替えでの家電製品・自動車の大量廃棄」「アーティスト・作家が可哀そうな位にすぐレンタルされてしまうCDやDVD」などなど。まるで物がTwitterのTL(タイムライン)のように流れ飛んでは消えていく。昨年までTVで見かけたお笑い芸人も、気のせいか最近はあまりTVで見かけなくなったような(トーク番組に登場するようになったのか?)。そりゃあそうだよ。イカサマチックで架空な「視聴率」なんて数字のために毎日毎週のように出演していたらネタも切れるって(笑)。そうやって有能なアーティストが何人も消えていったような気がするのは僕だけだろうか?
僕は、企業努力は当然だと思うが、努力する方向は「短期間での効率的大量生産」ではなく「多少長期に渡っても、あるいは非効率的でも品質の良い物の生産」を目指すべきだと思うのだ。何故フランスのワインはあんなに高く売れ、何故イタリアのブランド品はあんなに美しいのかをよく研究すべきだ。エンドユーザーに本当に愛用されるものを作らないと、いつまでも大量廃棄の罰当たりな日々を過ごす事から抜けられないのではないかと心配になる。日本は海外から「長年の努力によって富が多く豊かなはずなのに、その豊かな富で無駄に大量生産し大量廃棄する愚かな国」と軽蔑されている事を思い知るべきだ。...な~んて残業しながら書いてみましたっと♪

2010年11月10日水曜日

銀杏BOYZ♪ ~聴くと何故か涙が出てくるアーティスト Part1~

ここ最近あまり名前を聞く事がない銀杏BOYZの事について書いてみたいと思います。僕がこのバンドを知ったのは、確か2005年の初旬だったと思います。その3か月くらい前に、コンビニでなかなか生きのいいロックバンドの曲が流れてきたのを聴いて「お!日本のロックも捨てたもんではないぞ」と興味を持ち、そのアーティストを探す事を始めたのです。(曲の印象もおぼろげなのですが、きっとサンボマスターの「美しい人間の日々」だと思うんだけど^^;)最初にアジアンカンフージェネレーション・次にサンボマスターを見つけて視聴しながら「おお、いいじゃん!」と聴き入り、最後に銀杏BOYZの『DOOR』を視聴したのです。3曲目まで聴いて「..こりゃあ今の俺(当時39歳)にはついていけない世界だ..」とぐったりしていたのですが、何故か聴く事をやめませんでした。何故なら僕は学生時代から「スターリン」とか「アナーキー」などというパンクバンドも愛聴しており、年齢的についていけない世界ながらも実は割と嫌いじゃない曲風だったので。(でもこの開始3曲はかなりドロドロしてるけど)で、4曲目がダメなら聴くのをやめようと思っていたら『援助交際』(まずいタイトルだよなぁ)を聴き「あっいいじゃん!歌詞は問題ありだけど」と一気に好評価になったのでした。隣に『君と僕の第3次世界大戦的恋愛革命』が置いてあったので、店のお勧め曲『BabyBaby』を聴き、このバンドがすっかり好きになりました。でも小さな子供を持つ僕としては、家では中々聴けない歌詞内容なので(^^;)買う事はためらったのですが、3日後には買っていました。ははは。ヘッドフォンで夜にひっそり聴いたりしていましたねぇ。(今もですけど^^;)
このバンドの特徴は、クソミソに酷い歌(エログロ系)・ノリのいいパンク系ロック・美しい曲がはっきりと分かれる所です。こんなバンドは他にはないでしょう。また、どの曲も歌詞に本音を吐いています。人間の汚いところ・だらしないところ・怖いところ・などなど。なのでこのバンドを聴いていると、自分の中の人間の本性・本能・弱い姿をえぐり出されるような気になり、何故か自然と涙が出てくるのです。不思議です。 下の3曲は、上記2アルバム以降に発売されたCDシングル曲です。『DOOR』に比べてかなり洗練された曲ですが、この曲を聴いても十分このバンドの特徴は掴めるかなと。でも、僕の中での銀杏BOYZは『DOOR』に集約されていますね。ドロドロな世界です。また、お勧めの曲と聞かれたら『君と僕の第3次世界大戦的恋愛革命』に入っている『東京』という曲を勧めます。泣きます。


数字論(数字に弱い理系出身orz)



久々の投稿である。...本当か?
最近、数字の事について語られている本をよく読んでいる。読んでいると、本当に自分は数字に弱い丼勘定人間であると痛感させられる。本当に僕は社会人なのだろうか?orzちなみに僕は数学科出身である。学生時代はそれなりに(!?)数字に強いと思っていた。しかし、それは単に「数字を求める経緯に興味があった」だけの話であり、「世にあふれた数字を正確に把握したり収集する」事や「数字に対して冷静な判断を行う」事が得意な訳ではないという話なのだろう。実際問題、家計や自分の小遣いには、まったくもって丼勘定だ。ははは。
例えば
1.藻谷浩介さん著「デフレの正体」より:「GDP総額は、人口の年代バランスに比例する」という事。おお!GDP減少はそれだけで問題視し、年齢バランス(よく言う少子高齢化)はそれで問題視していたが、それぞれの相関関係には頭が回らなかった。なるほどね~。つまりこの本には『地域間格差は数値で表せば存在せず、単純にお金を使わない富裕層の老人が増え、購買wantsのある若者は収入が少ない上に人口も減っているので、なおさらの事お金が回らない』という事が書いてあった。この本は面白かったです。(ただ都市地方の議論に関してはあくまで県単位で記述されており、県内・都内での差は議論されてなかったけど)
2.浅川芳裕さん著「日本は世界第5位の農業大国」より:まだこの本は読み始めたばかりですが、『食料自給率とは国産+輸入に対する国産の率であり、それ以上の意味をなさない』という意味の言葉が書いてあった。おお!そうですよね。僕はこれだけ食にあふれて売り切れなんてほとんど感じない、しかも国産農作物にあふれている日本の現状を肌で感じて「食料自給率41%」という数字に「そんなに国産が不足しているのか?」という疑問を常に感じていた。な~んだ。”率”だからか。そりゃそうだ。これだけ食生活が多国籍化してくれば必然と輸入も増える。でも率は絶対数なんて関係ないもんね。単に比率だから。という事は、日本には相当量の食料が余っているという事ですよ。
...しかし何故こんな事にも気づきがないのか?社会人として数値をただ単に眺めていたり、一番大切な絶対量の数値を自分で確認したり調査する事を怠っている証拠ですよね。学生時代に戻って、いろいろな事象の真理を考察していかないといけない。反省した今日この頃でした。おしまい!

2010年11月4日木曜日

11/3のニコニコ動画・小沢一郎ネット会見を観て(もう一つの「政治と金」)

久々にブログを書く。そして、また政治ネタだ。正直もう少し明るい話題を書き込みたい所だけど。。。
昨日16時よりニコニコ動画にて「小沢一郎ネット会見」が放送された。普段より小沢氏をあまり良く言わない神保哲郎さんが出演するという事で、かなり切り込んだ発言が聞けるのではないか、と楽しみにしていた。正直言って、僕は小沢さんの「西松建設の件」は検察が2度も不起訴にしているので興味はない。しつこい(悪質とはっきり言い切れる)検察審議会の強制起訴に関しては、小沢氏を同情するし腹立たしく思っている。しかし、小沢氏を素晴らしい政治家と認めるけど、いま一つ僕の中では小沢氏にひっかかる「何か」がある。それが神保氏の質問で「これだ」と思えるものがあったので書きたい。
それは「献金などで集めた多額の個人のお金を、自分と意思を共にする者(政治家)を集める事などに自由に使っていいと思うのか?」という問いだった。小沢氏は「個人のお金なので自由に使って構わない」と返答した。しかし、僕は「政治には多額のお金がかかる」という発想にかなり違和感があるのだ。青臭い人間と思われても構わない。
僕は正直言って、小沢氏がお金にダーティーであるとは思っていない。しかし方法論は古いと思う。そもそも何故そんなに多額のお金が政治家には必要なのか?もっと言えば「何故多額のお金がないと選挙に勝てないのか?」という事だ。まぁ普通に考えればそんなの当たり前だろう。世界的に見てもどの国もそうだ。しかしそれは「お金が無ければ高校・大学に行けない」「お金が無ければ医者になれない」などと同義である。学生ならば、成績優秀であれば奨学金制度などを用いる事も可能だし、民主党で高校無償化になったので学問に対する費用負担のハードルは下がった。しかし政治家はお金がなければ政治活動もできない。優秀であっても世の中に認知される事もない。なので、有名人や世襲政治家、多額の資金を持つ者が有利になる。しかしである。お金が国民を救うのか?違う。政策が国民を救うのだ。『お金がなければ政策が伝わらない事』が問題なのだ。テレビ・ネットを有効利用したり(政治専門チャンネルをもっと増やしたり)、ある程度国民の政治参加を強制したりして、お金がなくても理念と精神の強さがあれば政治家になれる世の中に絶対すべきだ。
僕は政治に興味を持った、というより政治を知らなければいけないと感じたのは2001年の9.11がきっかけだった。戦争を語る上で政治と宗教を学ばないと不可能だと感じたからだ。政治とは世の中の不幸を少なくする事だと思う。ならば強い理念があればその人間こそ政治家になれるべきではないか?
今は選挙に勝つために多額の費用がかかり、選挙に勝っても借金を背負う事が多いそうだ。そして政治のためにまた多額のお金が必要になり(これは必然だが)、その中で借金を払わなければならない。だから次の選挙に勝つ事に意識が傾くようになり、理念よりも国民人気を優先してしまうのではないだろうか?何度も書くが、多額のお金を選挙に必要としない制度を確立しなければならない。でなければ、昔の僕のように「政治家とは胡散臭いもの」と勝手にカテゴライズ化し、政治離れを行う若者がどんどん増えていくと思うのだが。
なので、せっかくあのように自由な番組に出演したのなら、小沢氏には「いやぁ、僕はともかくこれからは企業献金や団体献金など癒着に繋がるようなものは廃止して、お金がなく個人献金を集める力もまだない若者でも政治家になれるように法を整えていきますよ」ぐらいの事を言って欲しかった、というのが正直な僕の感想だ。
でもやはり小沢さんの政治理念は素晴らしいですね。今回の放送でも心にズシンとくる発言は本当に多かった。だからこそ、小沢さんには先導して政治の世界・成り立ちを変えていって欲しいのである。