昨日、やっと仮面ライダーフォーゼのベルトを買うことができました。息子の誕生日(10月9日)のお祝いに買ってあげようと思っていたら、売り切れ続出で在庫切れがずっと続いていたため買う事ができませんでした。クリスマスも過ぎ、買い手も落ち着いたのか、秋葉原のヨドバシカメラで待望のベルトをGET!息子に昨日渡しました。もう大はしゃぎ!!久しぶりにいい買い物をしたなぁと嬉しかったです。(おおげさ(笑))寝床にベルトをしたまま入り「パパありがとう♪」と言ってもらいました。
仮面ライダーのように強くてたくましい男に育ってほしいものです。
でも、最近の仮面ライダーのグッズはハイテクだよね♪僕の子供の頃にあったら、メチャメチャはまっただろうなぁ。。。
2011年12月28日水曜日
2011年12月13日火曜日
七ヶ浜に行ってきました (初めての東北ボランティア)
3月11日の震災後、初めて東北に行きました。ずっと以前から行こうと思っていたのですが、なかなか実行に移す事ができませんでした。自分でも情けなく思っていました。しかしこのままでは今年に悔いを残すと思い、今年中に必ず行こうと決めました。ボランティアバスの存在を知り、地元のボランティア保険に加入し、戸田市HPでリンクされていた「助けあいJAPAN」から見つけた宮城県七ヶ浜町へのボランティアツアーに参加しました。
恥ずかしい事に、実は参加前まで、七ヶ浜の事はほとんど知りませんでした。特に調べる事もなく、9日の23時に秋葉原駅前に集合しバスに乗り込みました。驚いたのは、意外にも若い女性の参加が多かったことでした。また僕より年輩と思える方々も多く参加されていました。次の日の作業があるので乗車後すぐに寝ました。隣に座った方に話しかけようかとも思ったのですが、何か迷惑にも思ったので話しする事もありませんでした。バスの中でツアー会社の方が「明日は天気も崩れることはなさそうです。」と仰った事にホッとしました。天候不良なら単なる観光になる、とも事前に聞いていたからでした。それだけは正直嫌でした。確かに観光も被災地への支援の力添えになるかとも思うのですが、僕の目的はあくまでボランティアだったので。
バスは現地のボランティアセンターが空く時間より遥かに早く七ヶ浜に到着し(朝7時位)、ボランティアセンターに行く前に毘沙門堂へと向かいました。現地の方と思える(補助?)運転手の方が「ボランティア現地での写真撮影は禁止ですが、毘沙門堂から見える風景は撮影して構いませんので楽しんでください」と仰いました。その「ボランティア現地での写真撮影は禁止ですが」の意味がその時は正直ピンと来ませんでした。早く復興するようお参りし、そこから見える風景を撮影しました。
バスはボランティアセンターに向かいました。その車中、先程の運転手の方が淡々と語ります。
「七ヶ浜は入り組んだ湾の形をしており、その影響もあって津波の高さは15mから16mにもなるものでした。」
「海沿いの低い土地に立てた家は津波にほとんど流されてしまいました。高台にある家は津波の被害を受けず、はっきりと明暗を分けてしまいました。」
「震災が起きてから9ヶ月経ちますが、今だ手つかずの場所も残っています。」
そして僕の目の前に津波の被害を受けた町の様子が見えてきました。その時、先ほどの「現地での写真撮影は禁止」の意味がわかりました。東北に来る前に写真やテレビなどで被災の様子を見ていたのですが、実際に目の前にその光景が広がると、言葉が出てきませんでした。そしてボランティアを目的とした人間がこの風景を安易に撮影してはならないと痛感しました。
家の基礎しか残っていない土地、気が遠くなる程に集積場所に積み上げられた瓦礫の山、流された車や壊れた栽培ハウスなどがそのまま置かれている農地、津波で削られたと思える法面。
震災後、9ヶ月が経ちました。その間、現地の方々やボランティアの方々・自衛隊の方々などの努力によりここまでの瓦礫が撤去され、ヘドロなども取り除く事ができたのでしょう。しかしまだ手つかずの場所があるのです。それだけ震災の被害は凄まじいものだったのだと想像できます。現地の方々の悲しみも僕の想像を超えるものでしょう。
ただただバスの中から見える目の前の光景に唖然とするだけでした。
ボランティアセンターでは、その日に要望されているニーズをボランティア参加者の誰に振り分けるかの「マッチング」という作業が朝になされます。その日は全国から僕たちツアーメンバー30数名を含め、総勢350人以上の参加者が集結していました。その参加の多さも素晴らしいのですが、このメンバーと作業をマッチングさせるセンターのご苦労も大変なものと思います。
そして僕たちは今回「松林クリーン大作戦」と命名された海沿いの松林の瓦礫撤去作業を行いました。海沿いにも関わらず、引き潮で住宅地から流されたと思われる角材などの瓦礫を並行して走る道沿いに運び、集まった瓦礫をトラックの荷台に積み込む作業でした。
それを、午前10時30分から1時間。そして午後1時から45分。
するとボランティアセンターの方が「東京下町応援隊の方ですよね?別の事をしません?(笑)」と話しかけてきました。松の樹の根っこの掘り起こしでした。伐根というそうです。津波で折れてしまった松の樹の残った根をチェーンソーで切り取るのですが、その前に土で埋まっている根を掘り起こすのです。
これが大変な作業でした。悔しいけど全然掘り起こせません。殆ど掘り起こせないまま、作業時間終了の2時30分になってしまいました。
今回、ボランティアに参加して感じたことを書きます。
1.個人の力、というより僕の力の不甲斐なさ・無力さを痛感しました。
2.復興などと言う言葉以前の状況でした。まだまだその前にやるべきことは沢山残っています。
3.参加者誰一人、無駄な言葉を話す人はいませんでした。みんなが黙々と目の前の作業をこなしていました。
そして、最後に僕たちを担当してくれたリーダーの方の言葉が印象的でした。
「僕は東京から参加しているのですが、東京と被災地には大きな温度差がある事を感じます。」
この言葉の意味は大きいと思います。
ボランティア(というより人手)が絶対的に不足しているように感じました。しかしボランティアセンターのマッチングという作業を考えると、そうそう安易に増えてもうまく事が運ぶとも言い切れないようにも思います。難しい問題です。しかしはっきり言える事は、もう行政や政府の力量を超えた状況で、できるかぎりの応援しなければいけない現状なのです。
僕も初めての参加だったので大きなことは言えません。またボランティアに参加できなくても、また支援できなくても思いやる気持ちはきっとあると思います。しかし中には被災地の瓦礫を受け入れたくないという意見もあるそうです。放射能汚染があるないに関わらずです。僕はそういう人達に言いたい。「被災地に行って、想像を絶する量の瓦礫の山を見てから意見を言って欲しい」と。僕は福島の瓦礫だって全国各地で少しは受け入れるべきだと思います。この状況を一部地域に放置して良いのか?と訴えたい。
ボランティアセンターでは、バンダナとストラップ・そしてラーメンを購入しました。少しは支援の力になりたかったからです。また、ボランティアセンター横のNPOの建物にかかっていた寄せ書き入りのウィンドブレーカーが印象的でした。
また東北には行こうと思います。
恥ずかしい事に、実は参加前まで、七ヶ浜の事はほとんど知りませんでした。特に調べる事もなく、9日の23時に秋葉原駅前に集合しバスに乗り込みました。驚いたのは、意外にも若い女性の参加が多かったことでした。また僕より年輩と思える方々も多く参加されていました。次の日の作業があるので乗車後すぐに寝ました。隣に座った方に話しかけようかとも思ったのですが、何か迷惑にも思ったので話しする事もありませんでした。バスの中でツアー会社の方が「明日は天気も崩れることはなさそうです。」と仰った事にホッとしました。天候不良なら単なる観光になる、とも事前に聞いていたからでした。それだけは正直嫌でした。確かに観光も被災地への支援の力添えになるかとも思うのですが、僕の目的はあくまでボランティアだったので。
バスは現地のボランティアセンターが空く時間より遥かに早く七ヶ浜に到着し(朝7時位)、ボランティアセンターに行く前に毘沙門堂へと向かいました。現地の方と思える(補助?)運転手の方が「ボランティア現地での写真撮影は禁止ですが、毘沙門堂から見える風景は撮影して構いませんので楽しんでください」と仰いました。その「ボランティア現地での写真撮影は禁止ですが」の意味がその時は正直ピンと来ませんでした。早く復興するようお参りし、そこから見える風景を撮影しました。
「七ヶ浜は入り組んだ湾の形をしており、その影響もあって津波の高さは15mから16mにもなるものでした。」
「海沿いの低い土地に立てた家は津波にほとんど流されてしまいました。高台にある家は津波の被害を受けず、はっきりと明暗を分けてしまいました。」
「震災が起きてから9ヶ月経ちますが、今だ手つかずの場所も残っています。」
そして僕の目の前に津波の被害を受けた町の様子が見えてきました。その時、先ほどの「現地での写真撮影は禁止」の意味がわかりました。東北に来る前に写真やテレビなどで被災の様子を見ていたのですが、実際に目の前にその光景が広がると、言葉が出てきませんでした。そしてボランティアを目的とした人間がこの風景を安易に撮影してはならないと痛感しました。
家の基礎しか残っていない土地、気が遠くなる程に集積場所に積み上げられた瓦礫の山、流された車や壊れた栽培ハウスなどがそのまま置かれている農地、津波で削られたと思える法面。
震災後、9ヶ月が経ちました。その間、現地の方々やボランティアの方々・自衛隊の方々などの努力によりここまでの瓦礫が撤去され、ヘドロなども取り除く事ができたのでしょう。しかしまだ手つかずの場所があるのです。それだけ震災の被害は凄まじいものだったのだと想像できます。現地の方々の悲しみも僕の想像を超えるものでしょう。
ただただバスの中から見える目の前の光景に唖然とするだけでした。
ボランティアセンターでは、その日に要望されているニーズをボランティア参加者の誰に振り分けるかの「マッチング」という作業が朝になされます。その日は全国から僕たちツアーメンバー30数名を含め、総勢350人以上の参加者が集結していました。その参加の多さも素晴らしいのですが、このメンバーと作業をマッチングさせるセンターのご苦労も大変なものと思います。
そして僕たちは今回「松林クリーン大作戦」と命名された海沿いの松林の瓦礫撤去作業を行いました。海沿いにも関わらず、引き潮で住宅地から流されたと思われる角材などの瓦礫を並行して走る道沿いに運び、集まった瓦礫をトラックの荷台に積み込む作業でした。
それを、午前10時30分から1時間。そして午後1時から45分。
するとボランティアセンターの方が「東京下町応援隊の方ですよね?別の事をしません?(笑)」と話しかけてきました。松の樹の根っこの掘り起こしでした。伐根というそうです。津波で折れてしまった松の樹の残った根をチェーンソーで切り取るのですが、その前に土で埋まっている根を掘り起こすのです。
これが大変な作業でした。悔しいけど全然掘り起こせません。殆ど掘り起こせないまま、作業時間終了の2時30分になってしまいました。
今回、ボランティアに参加して感じたことを書きます。
1.個人の力、というより僕の力の不甲斐なさ・無力さを痛感しました。
2.復興などと言う言葉以前の状況でした。まだまだその前にやるべきことは沢山残っています。
3.参加者誰一人、無駄な言葉を話す人はいませんでした。みんなが黙々と目の前の作業をこなしていました。
そして、最後に僕たちを担当してくれたリーダーの方の言葉が印象的でした。
「僕は東京から参加しているのですが、東京と被災地には大きな温度差がある事を感じます。」
この言葉の意味は大きいと思います。
ボランティア(というより人手)が絶対的に不足しているように感じました。しかしボランティアセンターのマッチングという作業を考えると、そうそう安易に増えてもうまく事が運ぶとも言い切れないようにも思います。難しい問題です。しかしはっきり言える事は、もう行政や政府の力量を超えた状況で、できるかぎりの応援しなければいけない現状なのです。
僕も初めての参加だったので大きなことは言えません。またボランティアに参加できなくても、また支援できなくても思いやる気持ちはきっとあると思います。しかし中には被災地の瓦礫を受け入れたくないという意見もあるそうです。放射能汚染があるないに関わらずです。僕はそういう人達に言いたい。「被災地に行って、想像を絶する量の瓦礫の山を見てから意見を言って欲しい」と。僕は福島の瓦礫だって全国各地で少しは受け入れるべきだと思います。この状況を一部地域に放置して良いのか?と訴えたい。
ボランティアセンターでは、バンダナとストラップ・そしてラーメンを購入しました。少しは支援の力になりたかったからです。また、ボランティアセンター横のNPOの建物にかかっていた寄せ書き入りのウィンドブレーカーが印象的でした。
また東北には行こうと思います。
2011年12月9日金曜日
増税は必須じゃないのか?
ここ最近、野田総理が「税と社会保障の一体化に向けて、消費税を10%に増税に向けて全力を注ぐ」みたいな事を言っているそうだね。いやいや、消費税はまずいでしょ。だって社会保障受ける側も消費税を払うんだし、もらって払っての、単なる「行って来い」になるじゃない。そもそも税金を目的税化する事が理にかなわないと思うなぁ。特別会計を含めた全ての税金の使途を、その時その時の必要量に従って分配するべきだと思うんだけどね。会社だってそうするしねぇ。消費税の話に戻ると、低収入者には税の戻しを検討するとの事。なら消費税増税はやめなって(笑)無駄な経費発生するだけじゃない。ホントに政治家は消費税増税が好きだよね。
でも、消費税に反対だからと言っても「増税そのもの」に反対するのはどうかいな?と思うけどな。僕は自分の年齢(45歳)から考えて、自分の年金なんて全く当てにしていないけど、年金の不足や復興の資金・原発収束の資金・低所得者層への手当・これらを総合的に見たら、増税しないと到底やっていけないと思うんですけどね。
どこからお金が出てくるの?空から降ってくるの?地面から湧いてくるの?
特別会計かい?その根拠はどこにあるのよ?出れば嬉しいけどさ。
それとも予算の総見直しかい?いやいや、そう簡単には結論でないでしょ。それに少しずつではあるけど、議論は始まっているよ。その浄化効力にまずは期待しようよ。
地方に直接税金交付すればそんなに予算はかからない?確かにそうだしそれが理想だけど、それだって時間がかかるよね。そもそも信用できない地方政治家の方が多いんだからさ。
そんなこんなで時間が経つにつれ、今困っている人はどんどん疲弊していくと思います。
それなら、税金払う余力がある人は増税に賛成すべきだと思いますけどね。所得税や相続税など。一番大切な事は、「税金がどのように使われるか」が透明化される事で、そのためにみんなで納得できる形で税金を使えるように努力すべきだよね。意見を言ったり、悪用されないように監視したり。何もしないで文句言っていても始まらないと思うんだけどな。
僕は少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど、政治が浄化されつつあると思っています。確かに酷い事も行われているけどね。原発を他国に輸出しようとしたり、武器輸出を緩和しようとしたり、沖縄に酷い事言ったり。でもね、忘れてはいけないよ。この原因を作っているのは政治家というより、むしろ民間の財界である事を。
これを見ましょう。この三井物産の方の発言などを。今問われているのは民間企業のモラルだと思うのですよ。
でも、消費税に反対だからと言っても「増税そのもの」に反対するのはどうかいな?と思うけどな。僕は自分の年齢(45歳)から考えて、自分の年金なんて全く当てにしていないけど、年金の不足や復興の資金・原発収束の資金・低所得者層への手当・これらを総合的に見たら、増税しないと到底やっていけないと思うんですけどね。
どこからお金が出てくるの?空から降ってくるの?地面から湧いてくるの?
特別会計かい?その根拠はどこにあるのよ?出れば嬉しいけどさ。
それとも予算の総見直しかい?いやいや、そう簡単には結論でないでしょ。それに少しずつではあるけど、議論は始まっているよ。その浄化効力にまずは期待しようよ。
地方に直接税金交付すればそんなに予算はかからない?確かにそうだしそれが理想だけど、それだって時間がかかるよね。そもそも信用できない地方政治家の方が多いんだからさ。
そんなこんなで時間が経つにつれ、今困っている人はどんどん疲弊していくと思います。
それなら、税金払う余力がある人は増税に賛成すべきだと思いますけどね。所得税や相続税など。一番大切な事は、「税金がどのように使われるか」が透明化される事で、そのためにみんなで納得できる形で税金を使えるように努力すべきだよね。意見を言ったり、悪用されないように監視したり。何もしないで文句言っていても始まらないと思うんだけどな。
僕は少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど、政治が浄化されつつあると思っています。確かに酷い事も行われているけどね。原発を他国に輸出しようとしたり、武器輸出を緩和しようとしたり、沖縄に酷い事言ったり。でもね、忘れてはいけないよ。この原因を作っているのは政治家というより、むしろ民間の財界である事を。
これを見ましょう。この三井物産の方の発言などを。今問われているのは民間企業のモラルだと思うのですよ。
Clap Your Hands Say Yeah♪
4,5年前だったかな?CrossbeatかRockin'Onのどちらかでこのバンドの紹介が書かれており、何とも腑抜けな(笑)ジャケットと、ヘラヘラした(笑)バンド名が印象的だったのがこのバンドの初印象。そしてその後、『Some Loud Thunder』という作品をレンタル店で見つけて借りたのでした。正直言って、ほとんど印象に残っていません。ははは。じゃあ何故このバンドをブログに書くのよ??それは、このバンド名 Clap Your Hands Say Yeah が何故だかメチャメチャ気に入っているためである。
なんでSay Yeah やねんwwww
僕のTwitter アカウントは KawababySayYah というのだが、このバンド名をもじって付けた。何の意味もない。その音の響きだけが気に入っただけ。
しかし、今年発売された 『Hysterical』 はかなりいい♪♪♪♪ 今それを聴きながら書いています。
メロディラインが美しいです。少しRadioHeadちっく?前作のヘロヘロ感はほとんど感じません。
ま、たまにはいいんじゃないかいな?「単にバンド名を気に入ったバンド」という存在も。
戸田市コンセール・ルネッサ吹奏楽団ファミリーコンサート
今月4日(日曜日)に、戸田市勤労福祉会館にて戸田市の主催でルネッサ吹奏楽団のファミリーコンサートが開催されました。この楽団にはウチのかみさんもトロンボーンで参加しており、2人の子供も練習時にいろいろとお世話になっています。今年は昨年以上にお客さんも多く、立ち見が出るほど盛況でした。地道な活動が認知されつつあるのでしょうね。今年は東日本大震災もあり、音楽で心を和らげたい気持ちも今まで以上に強くなっているのではないでしょうか?
確かに音楽は災害の痛みの前には無力かもしれません。しかし心を繋ぐものの一つとして音楽が愛されれば、それはそれで価値がある事ではないでしょうか?
今年は練習時間も例年より短かったでしょうから、今年の演奏の上達ぶりには心打たれました。
ちなみに僕はアンコールの演奏「祭り」で旗を振り、神輿を担ぐお手伝いをさせてもらいました。こういうのも久しぶりなので、楽しかったです。
確かに音楽は災害の痛みの前には無力かもしれません。しかし心を繋ぐものの一つとして音楽が愛されれば、それはそれで価値がある事ではないでしょうか?
今年は練習時間も例年より短かったでしょうから、今年の演奏の上達ぶりには心打たれました。
ちなみに僕はアンコールの演奏「祭り」で旗を振り、神輿を担ぐお手伝いをさせてもらいました。こういうのも久しぶりなので、楽しかったです。
2011年12月1日木曜日
紅葉見ナイトと赤羽の夜
先週、埼玉県の森林公園で行われた「紅葉見ナイト」に行ってきました。少々遅れて2時30分頃に家を出発したため、一番近い中央口の駐車場に入れず、かなり離れた南口の駐車場に車を停めて、紅葉見ナイトが開催されている中央口まで歩く事になりました。犬を連れていたためバスに乗ることが出来なかったからです。
紅葉見ナイトとは、ライトアップされた紅葉を見ながら歩く夜の催し。4時30分の開催にあたり中央口以外の入場口を閉めてしまうため娘が心配しました。「大丈夫?帰れなくなるんじゃないの?」「紅葉見ナイトなんてやってないじゃん!」開催前で、なおかつ開催場所からかなり離れた場所から入場したためでした。またその南口から中央口までの道は(徒歩40分ほど)人の少ない寂しい道で、更に『ヘビ注意!』とか『蜂に注意!』なんて看板もちらほらあり、進む事を嫌がる娘を説得するのに結構大変でした。長い間歩いて明かりが見え始めると、家族全員がホッとしました。
紅葉はかなり終わりに近づいており、壮大感には欠けたのですが、ライトアップに照らされる木々の美しさはやはり素晴らしいものでした。紅葉見ナイトに行ったのは昨年についで2回目ですが、大勢のお客さんが来場しており、偶然同じマンションに住んでいる家族にばったり出会ったり、また犬連れの家族も多く見え、昨年以上の人気を感じました。おしるこや肉まんも美味しかったです。我が家の犬もよく歩き感心しました。
写真を何枚か撮ったのですが。。。下手だなぁ orz
帰りは犬をバスに乗せることができないため、僕は愛犬と歩いて駐車場に戻る事にしました。途中で犬がピタリと歩かなくなってしまい(疲れたのだと思うけど)、街灯もない道を30分ほど淡々と犬を抱いて歩いたのですが、怖かったなぁ(^^;)。駐車場に着くと、見知らぬ夫婦が犬を連れて車に乗っていました。かみさんに聞くと、バスの停留場を間違えてしまい、帰り道が同じ方向だったので同乗を勧めたと言いました。相変わらずかみさんはいい人ぶりを発揮していました。とても物腰の柔らかい老夫婦でした。千葉県出身で、奇遇にも出身高校が僕と同じでした。偶然ってあるのですね。
月曜日は帰りがけ何気なく赤羽駅の改札を降りてTUTAYAに寄りました。ふと駅前を見渡すと、そんなに派手さはないのですが綺麗なライトアップがなされていました。思わず2日前に行った紅葉見ナイトを思い浮かべました。
はやいもので、もう12月なのですね。。。
紅葉見ナイトとは、ライトアップされた紅葉を見ながら歩く夜の催し。4時30分の開催にあたり中央口以外の入場口を閉めてしまうため娘が心配しました。「大丈夫?帰れなくなるんじゃないの?」「紅葉見ナイトなんてやってないじゃん!」開催前で、なおかつ開催場所からかなり離れた場所から入場したためでした。またその南口から中央口までの道は(徒歩40分ほど)人の少ない寂しい道で、更に『ヘビ注意!』とか『蜂に注意!』なんて看板もちらほらあり、進む事を嫌がる娘を説得するのに結構大変でした。長い間歩いて明かりが見え始めると、家族全員がホッとしました。
紅葉はかなり終わりに近づいており、壮大感には欠けたのですが、ライトアップに照らされる木々の美しさはやはり素晴らしいものでした。紅葉見ナイトに行ったのは昨年についで2回目ですが、大勢のお客さんが来場しており、偶然同じマンションに住んでいる家族にばったり出会ったり、また犬連れの家族も多く見え、昨年以上の人気を感じました。おしるこや肉まんも美味しかったです。我が家の犬もよく歩き感心しました。
写真を何枚か撮ったのですが。。。下手だなぁ orz
帰りは犬をバスに乗せることができないため、僕は愛犬と歩いて駐車場に戻る事にしました。途中で犬がピタリと歩かなくなってしまい(疲れたのだと思うけど)、街灯もない道を30分ほど淡々と犬を抱いて歩いたのですが、怖かったなぁ(^^;)。駐車場に着くと、見知らぬ夫婦が犬を連れて車に乗っていました。かみさんに聞くと、バスの停留場を間違えてしまい、帰り道が同じ方向だったので同乗を勧めたと言いました。相変わらずかみさんはいい人ぶりを発揮していました。とても物腰の柔らかい老夫婦でした。千葉県出身で、奇遇にも出身高校が僕と同じでした。偶然ってあるのですね。
月曜日は帰りがけ何気なく赤羽駅の改札を降りてTUTAYAに寄りました。ふと駅前を見渡すと、そんなに派手さはないのですが綺麗なライトアップがなされていました。思わず2日前に行った紅葉見ナイトを思い浮かべました。
はやいもので、もう12月なのですね。。。
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