2011年2月28日月曜日
最高の誕生日プレゼント
実は私、今月の13日に誕生日を迎えました。ウチの家内も16日が誕生日でした。
そこで、娘が私たちをお祝いしてくれました。写真のケーキ、そして手製のマフラーです。娘はまだ7歳なのに、本当にいろいろな事に挑戦してくれます。ケーキ作り、マフラー網み。僕が7歳の時は何もできませんでした。親バカかもしれないけど、子供の成長には本当に驚かされ、また感動させられます。道理で寝床に毛糸が置いてあったわけだ。あぁ、このまますくすくと素直に育ってくれればいいなぁと、思う今日この頃でした。
...ごめんね、こんなに遅れてブログに書いて...
2011年2月14日月曜日
毛皮のマリーズ♪ ~日本の若きロック魂~
実は最近、僕は日本のとあるロックバンドにハマっている。かなり宝物発掘!という気持ちになっている位に気に入っている。そのバンドが「毛皮のマリーズ」。 昨年の10月末、他のアーティストの作品を購入するためにTowerRecordに立ち寄り、何気なく新作コーナーに目をやった時、目に飛び込んできたのが発売直後のシングル『Mary Lou』だった。ジャケットデザインもいいし店の評価も高かったので、ちょっと聴いてみるかと視聴。おお!1曲目の『Mary Lou』は昔を想わせる甘いポップス風、2曲目の『コミックジェネレーション』はストレートなロック曲。どちらかと言えば2曲目を気に入って、即購入。(ホント俺って衝動買いが多い^^;)それからyoutubeで視聴したり、雑誌なんかで調べて彼らがインディーズ時代から評価の高いロックアーティストだった事を知った。(その前まで全然知らなかった。本当に日本のアーティストに関しては情報が疎いのですワT_T)しかし、中々家で聴く機会も取れず、購入後は実は一時放置していたのだ。 このバンドにハマったのは、昨年末に家で一人で居た時に「そういえば、毛皮のマリーズのシングルなんて買ったわね~」なんて感じで軽く聴いた時からだ。うおお!!こりゃいいわ!!いや、実は購入時もかなり「いいわ!!」と思っていたのだが、すっかり忘れておったよ、この感覚を。てなもんで、今年に入ってから購入+レンタルで全作品をコンプリートした。 彼らの良いところは、「過去からの曲のパクリが絶妙」なところだ。ボーカルの志磨遼平くんもはっきりとそれを認めている。しかしこの「パクリ力」は素晴らしい。パクリだけではないですけどね、当然。志磨くんは天才だと思います。 全ての作品を聴いてみて、僕の中でこれ!と思うのは、「マイ・ネーム・イズ・ロマンス」 と 最新作「ティン・パン・アレイ」 だね。2作品はかなり作風が異なるけど、「マイ・ネーム・イズ・ロマンス」はハードロックとして、「ティン・パン・アレイ」はポップミュージックとして秀逸。特に「ティン・パン・アレイ」は我が家のかみさん・子供達ともに気に入っており、僕の音楽趣味である「ロック」の中では唯一といっていいほど容認されている。大袈裟ではなく日本音楽界の傑作と言って良いと思います。下の2曲はこのバンドの代表的な曲だけど、本当は『Mary Lou』と『愛のテーマ』を挙げたかったんですけどね。動画がまだUPされておらず。残念。
白黒つけるメンタリティは是か非か?
はーっ。ツイッターに流れてくるニュースソースに腹立たしいのが多く(政治の事ね)、仕事の最中にも関わらずムカついて手が動かない。あーあ。いかんいかん。明日からツイッター及びネットの時事ニュースは就業時間後にしか見ない事にしよう。
どうでもいい事から始まったが、今日は本当にどうでもいい話を書こうと思う。最近巷を賑わせている『相撲の八百長問題』だ。この件に関しては、「裏金」「賭博」「警察の情報漏洩」など様々な問題を含んでいるが、僕は真正面から「八百長そのもの」という一番どうでもいい話(笑)にテーマを当ててみたい。
何だか八百長自体が問題である、それは国技であり神技である相撲という中で行われる事が問題なのだそうだ。そのように神聖な行事に八百長が行われているなら、いっそ公益法人を離れ、民営化を考えるべきではないか?などとまで飛躍して考える人もいたりする。いやー、そこまで厳格に捉えるべき問題なのだろうか?大体にして、あんなに飯をバカ食いする男達を食わせていけるほど、民営化で収益を上げられるとは到底思えない。褌担ぎまで数えたら、相撲取りの数はかなりのものだろう。しかも殆どが名も知れぬ存在であり、有名力士など数えるほどだ。それでも大衆の楽しみとして相撲は続けられたのは国の支えがあってこそ。
それにさ~、ビデオニュースドットコムで神保さんや宮台さんが言っていたように、「八百長の良さ」もある事を忘れないでほしいですよ。以前のプロレスがあそこまで大衆に人気があったのは、アントニオ猪木やジャイアント馬場が海外のレスラーを倒すところが痛快だったわけで、もし仮にその中に八百長らしき前打ち合わせがあったとしても、それはそれで知らなければいいだけの話なのだ。だって良く考えればアマレスでヘビー級はまるで世界に歯が立たないのにも関わらず、プロレスラーは世界に通用していた!という事自体が怪しいんだからね。今のプロレス界を見てごらんよ。総合格闘技なんてものになまじレスラーが参戦してしまってから、プロレスの特徴が全て胡散臭く語られるようになり、今や海外のトップどころもロクに来日しない。してもテンで敵わなかったり。”真剣勝負”を観る側が要求するようになってから本当にこじんまりした世界になってしまった。僕から言わせれば、『真剣勝負』という事実が『素晴らしきエンターテイメント』の存在を打ち消してしまったように思うのだ。どう思いますか?(...誰に問うているのか(笑))
何だか今は色々な面で「白だ!」「黒だ!」「左だ!」「右だ!」みたいな極論めいた論議が多いように感じる。「理想と現実」「清濁併せ呑む」という言葉もある通り、「ある意味どちらも正論だから、ではとりあえず皆が都合いい状況で良しとしておこうか」みたいな、ある意味いい加減な部分も世の中必要だと思うんだよね。それがないと何だか窮屈だよ。車のブレーキだって”遊び”がないと危ないでしょ?みたいな。まぁ、今日はそんな感じです。では。
どうでもいい事から始まったが、今日は本当にどうでもいい話を書こうと思う。最近巷を賑わせている『相撲の八百長問題』だ。この件に関しては、「裏金」「賭博」「警察の情報漏洩」など様々な問題を含んでいるが、僕は真正面から「八百長そのもの」という一番どうでもいい話(笑)にテーマを当ててみたい。
何だか八百長自体が問題である、それは国技であり神技である相撲という中で行われる事が問題なのだそうだ。そのように神聖な行事に八百長が行われているなら、いっそ公益法人を離れ、民営化を考えるべきではないか?などとまで飛躍して考える人もいたりする。いやー、そこまで厳格に捉えるべき問題なのだろうか?大体にして、あんなに飯をバカ食いする男達を食わせていけるほど、民営化で収益を上げられるとは到底思えない。褌担ぎまで数えたら、相撲取りの数はかなりのものだろう。しかも殆どが名も知れぬ存在であり、有名力士など数えるほどだ。それでも大衆の楽しみとして相撲は続けられたのは国の支えがあってこそ。
それにさ~、ビデオニュースドットコムで神保さんや宮台さんが言っていたように、「八百長の良さ」もある事を忘れないでほしいですよ。以前のプロレスがあそこまで大衆に人気があったのは、アントニオ猪木やジャイアント馬場が海外のレスラーを倒すところが痛快だったわけで、もし仮にその中に八百長らしき前打ち合わせがあったとしても、それはそれで知らなければいいだけの話なのだ。だって良く考えればアマレスでヘビー級はまるで世界に歯が立たないのにも関わらず、プロレスラーは世界に通用していた!という事自体が怪しいんだからね。今のプロレス界を見てごらんよ。総合格闘技なんてものになまじレスラーが参戦してしまってから、プロレスの特徴が全て胡散臭く語られるようになり、今や海外のトップどころもロクに来日しない。してもテンで敵わなかったり。”真剣勝負”を観る側が要求するようになってから本当にこじんまりした世界になってしまった。僕から言わせれば、『真剣勝負』という事実が『素晴らしきエンターテイメント』の存在を打ち消してしまったように思うのだ。どう思いますか?(...誰に問うているのか(笑))
何だか今は色々な面で「白だ!」「黒だ!」「左だ!」「右だ!」みたいな極論めいた論議が多いように感じる。「理想と現実」「清濁併せ呑む」という言葉もある通り、「ある意味どちらも正論だから、ではとりあえず皆が都合いい状況で良しとしておこうか」みたいな、ある意味いい加減な部分も世の中必要だと思うんだよね。それがないと何だか窮屈だよ。車のブレーキだって”遊び”がないと危ないでしょ?みたいな。まぁ、今日はそんな感じです。では。
2011年2月10日木曜日
オヤジのマイノリティ宣言! ~吉川漂さんのツイートに捧ぐ~
久しぶりの投稿。ここのところ、すっかり投稿回数が週一回に安定?してきた。うーん、まぁこんなところか。
今日は、8日前に僕のツイッターのタイムラインに流れた吉川漂さん(@HyoYoshikawa)の一通のツイートを読んで感じた事を書いてみたいと思う。まずは原文のままを以下に記載する。
『あなたの関心を持っていることに友人や周囲が無関心だからと言って嘆く必要はない。そうしてあなたが熱中している間にも、その人達はあなたが関心のない他の事に気を配ってくれているのだから。全ての人がワンテーマにしか関心がなくなったら人の社会は 滅びる。だから無関心は自然のバランスなのだ。』
ふと読んで、「真理をついているなぁ」と何となく思いリツイートした。そして後からよく考えてみると、このつぶやきには様々な深い洞察・想い・法則が埋め込まれているように感じた。「人々は日々の生活の中で弱い面・足りない面をそれぞれ補い合いながら生きている。自然に助け合って生きている。」と吉川さんは言いたかったのではないだろうか。
昔から僕は人から「変わっているね」とよく言われてきた。人が考えつかないようなギャグを考えるのが好きだったし、中学校からはほとんど洋楽しか聴かなくなったし、高校の頃は当時流行のテクノポップやジャニーズ系のルックスにあえて対抗して、その頃はほぼ活動休止中だったエアロスミスのジョーペリーを意識した長髪だったし、大学の頃は割と簡単に出来た家庭教師や塾講師をあえて拒否して小さな中華料理屋でアルバイトしていた。就職にしても、大学の学部仲間(理学部数学科)は金融やソフトハウス・メーカーに就職したが(教師も半数近くいた)、教師の道を断念した(当時から余っていた)僕は大学の推薦にも頼らずに自力で商社に就職した(SEを会社が求めていた事もあったのだが)。そして入社してからずっと、僕は測量土木というかなり公共事業に傾倒した分野でのCADシステムに携わっている。その中で僕は開発部という名の「商品販売サポート役」の役割を入社直後から与えられ、「開発部なのに何故こんな仕事内容なのか?」という疑問を抱きながら仕事をこなしていた。何度となく営業に誘われながらも(第一、僕は商社に営業希望で入社したのに)「でも開発部という肩書きに相応しい働きを行っていない」からと、入社10年目くらいから自らプログラマーに転じた。そして今に至る。そもそも僕はコンピューターが学生時代は大嫌いだった。プログラムなんてさらさら興味が無かった。メカも苦手だ。今は仕事が楽しいけど、振り返って自分は今の仕事が得意なのか?と言われれば、そうとはあまり思わない。うーん、書いていて自分はつくづく変な人だと思う。
では何故今の仕事を続けているかといえば、「まだやり切った感がない」からだ。そして昨今公共事業投資がすっかり減少し、ある意味陽の当たらない分野、しかし「生活にかけがえのない分野」であるからだ。確かに無駄な箱物の建設は僕も反対だ。例え会社の収益が増えようとも無駄なものは社会悪だと思う。しかし、公共事業とはそれだけではない。災害復旧・自然の環境保全・バリアフリー・交通の安全・土地利用の促進・インフラの補修・などなど。本来ならば着目されるべき存在にも関わらず着目されない「マイノリティな分野」に関わる事で人の生活の下支えの重要さを十二分に感じえる事ができるからなのだ。
そりゃあたまには「華やかな世界」に憧れますよ。もっと若い女性に囲まれたキャピキャピな環境に。だってオッサンばかりだし、業界人も会社も。学生時代にサークルを自分達で作って女子大生と楽しくやっていた事を思えば、何故こんなに地味な業界に自分がいるのかと不思議に思うときもある。でも、もうそんな事を考えるのはよそうと思う。世の中の地味な作業の下支えにわずかながらでも役立っているのかも、と思えばそれで僕はいい。そう決めたんだ。
昨日も送別会だった。人がいなくなっていくのは寂しい。会社の業績も厳しい。でもだからこそ今踏ん張らなければいけないのだ。公共を通じて生活の中の補完役に徹する事に決めたのだ。
最後に。以前にも書いたが、「自助は多くの他助を通じて成り立つ」事を忘れないようにしよう。
今日は、8日前に僕のツイッターのタイムラインに流れた吉川漂さん(@HyoYoshikawa)の一通のツイートを読んで感じた事を書いてみたいと思う。まずは原文のままを以下に記載する。
『あなたの関心を持っていることに友人や周囲が無関心だからと言って嘆く必要はない。そうしてあなたが熱中している間にも、その人達はあなたが関心のない他の事に気を配ってくれているのだから。全ての人がワンテーマにしか関心がなくなったら人の社会は 滅びる。だから無関心は自然のバランスなのだ。』
ふと読んで、「真理をついているなぁ」と何となく思いリツイートした。そして後からよく考えてみると、このつぶやきには様々な深い洞察・想い・法則が埋め込まれているように感じた。「人々は日々の生活の中で弱い面・足りない面をそれぞれ補い合いながら生きている。自然に助け合って生きている。」と吉川さんは言いたかったのではないだろうか。
昔から僕は人から「変わっているね」とよく言われてきた。人が考えつかないようなギャグを考えるのが好きだったし、中学校からはほとんど洋楽しか聴かなくなったし、高校の頃は当時流行のテクノポップやジャニーズ系のルックスにあえて対抗して、その頃はほぼ活動休止中だったエアロスミスのジョーペリーを意識した長髪だったし、大学の頃は割と簡単に出来た家庭教師や塾講師をあえて拒否して小さな中華料理屋でアルバイトしていた。就職にしても、大学の学部仲間(理学部数学科)は金融やソフトハウス・メーカーに就職したが(教師も半数近くいた)、教師の道を断念した(当時から余っていた)僕は大学の推薦にも頼らずに自力で商社に就職した(SEを会社が求めていた事もあったのだが)。そして入社してからずっと、僕は測量土木というかなり公共事業に傾倒した分野でのCADシステムに携わっている。その中で僕は開発部という名の「商品販売サポート役」の役割を入社直後から与えられ、「開発部なのに何故こんな仕事内容なのか?」という疑問を抱きながら仕事をこなしていた。何度となく営業に誘われながらも(第一、僕は商社に営業希望で入社したのに)「でも開発部という肩書きに相応しい働きを行っていない」からと、入社10年目くらいから自らプログラマーに転じた。そして今に至る。そもそも僕はコンピューターが学生時代は大嫌いだった。プログラムなんてさらさら興味が無かった。メカも苦手だ。今は仕事が楽しいけど、振り返って自分は今の仕事が得意なのか?と言われれば、そうとはあまり思わない。うーん、書いていて自分はつくづく変な人だと思う。
では何故今の仕事を続けているかといえば、「まだやり切った感がない」からだ。そして昨今公共事業投資がすっかり減少し、ある意味陽の当たらない分野、しかし「生活にかけがえのない分野」であるからだ。確かに無駄な箱物の建設は僕も反対だ。例え会社の収益が増えようとも無駄なものは社会悪だと思う。しかし、公共事業とはそれだけではない。災害復旧・自然の環境保全・バリアフリー・交通の安全・土地利用の促進・インフラの補修・などなど。本来ならば着目されるべき存在にも関わらず着目されない「マイノリティな分野」に関わる事で人の生活の下支えの重要さを十二分に感じえる事ができるからなのだ。
そりゃあたまには「華やかな世界」に憧れますよ。もっと若い女性に囲まれたキャピキャピな環境に。だってオッサンばかりだし、業界人も会社も。学生時代にサークルを自分達で作って女子大生と楽しくやっていた事を思えば、何故こんなに地味な業界に自分がいるのかと不思議に思うときもある。でも、もうそんな事を考えるのはよそうと思う。世の中の地味な作業の下支えにわずかながらでも役立っているのかも、と思えばそれで僕はいい。そう決めたんだ。
昨日も送別会だった。人がいなくなっていくのは寂しい。会社の業績も厳しい。でもだからこそ今踏ん張らなければいけないのだ。公共を通じて生活の中の補完役に徹する事に決めたのだ。
最後に。以前にも書いたが、「自助は多くの他助を通じて成り立つ」事を忘れないようにしよう。
2011年2月3日木曜日
Sinsuke Fujieda Trio(SF3)♪
今日、本を買うために池袋に立ち寄りジュンク堂で目的の本を購入後、駅の方面に歩いていたら、東口駅前の歩道で路上ライブを行っているJazzBandを見かけた。ちょっと観て帰ろうと思ったけど、かなり熱い演奏を行っていたのでついつい見入ってしまった。同じように歩道で立ち止まって観ていた人が10人ほど居たように思う。いやぁ、路上でのJazzBandライブなんて初めて観たので、かなり気持ち入れ込んで観たね。
演奏が終わり、立ち止まって観ていた人達は歓声と拍手!本当にとてもかっこよかった。「CD売ってまーす♪」の声に思わず購入。(他にも1人買っていたな)「この辺りでよく路上ライブするのですか?」「いえ普段は新宿でよく演奏しています。詳しくはサイトを見てください!」そしてURLその他が書いたビラを渡してくれた。
藤枝伸介さんというサックス奏者で、今は「Sinsuke Fujieda Trio(SF3)」というバンドを組んで活動しているようです。そして今、購入したCDを聴きながらブログを書いているところ。素晴らしいの一言です。これはお勧めだなぁ。今後の活動に注目しようと思います。
...でも、自分で見つけた「あまりメジャーではない素晴らしいアーティスト」って何だか嬉しいよね...
Sinsuke Fujieda Group の作品
EVOLUTION
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