2011年2月10日木曜日

オヤジのマイノリティ宣言! ~吉川漂さんのツイートに捧ぐ~

久しぶりの投稿。ここのところ、すっかり投稿回数が週一回に安定?してきた。うーん、まぁこんなところか。
今日は、8日前に僕のツイッターのタイムラインに流れた吉川漂さん(@HyoYoshikawa)の一通のツイートを読んで感じた事を書いてみたいと思う。まずは原文のままを以下に記載する。

 『あなたの関心を持っていることに友人や周囲が無関心だからと言って嘆く必要はない。そうしてあなたが熱中している間にも、その人達はあなたが関心のない他の事に気を配ってくれているのだから。全ての人がワンテーマにしか関心がなくなったら人の社会は 滅びる。だから無関心は自然のバランスなのだ。』

ふと読んで、「真理をついているなぁ」と何となく思いリツイートした。そして後からよく考えてみると、このつぶやきには様々な深い洞察・想い・法則が埋め込まれているように感じた。「人々は日々の生活の中で弱い面・足りない面をそれぞれ補い合いながら生きている。自然に助け合って生きている。」と吉川さんは言いたかったのではないだろうか。

昔から僕は人から「変わっているね」とよく言われてきた。人が考えつかないようなギャグを考えるのが好きだったし、中学校からはほとんど洋楽しか聴かなくなったし、高校の頃は当時流行のテクノポップやジャニーズ系のルックスにあえて対抗して、その頃はほぼ活動休止中だったエアロスミスのジョーペリーを意識した長髪だったし、大学の頃は割と簡単に出来た家庭教師や塾講師をあえて拒否して小さな中華料理屋でアルバイトしていた。就職にしても、大学の学部仲間(理学部数学科)は金融やソフトハウス・メーカーに就職したが(教師も半数近くいた)、教師の道を断念した(当時から余っていた)僕は大学の推薦にも頼らずに自力で商社に就職した(SEを会社が求めていた事もあったのだが)。そして入社してからずっと、僕は測量土木というかなり公共事業に傾倒した分野でのCADシステムに携わっている。その中で僕は開発部という名の「商品販売サポート役」の役割を入社直後から与えられ、「開発部なのに何故こんな仕事内容なのか?」という疑問を抱きながら仕事をこなしていた。何度となく営業に誘われながらも(第一、僕は商社に営業希望で入社したのに)「でも開発部という肩書きに相応しい働きを行っていない」からと、入社10年目くらいから自らプログラマーに転じた。そして今に至る。そもそも僕はコンピューターが学生時代は大嫌いだった。プログラムなんてさらさら興味が無かった。メカも苦手だ。今は仕事が楽しいけど、振り返って自分は今の仕事が得意なのか?と言われれば、そうとはあまり思わない。うーん、書いていて自分はつくづく変な人だと思う。
では何故今の仕事を続けているかといえば、「まだやり切った感がない」からだ。そして昨今公共事業投資がすっかり減少し、ある意味陽の当たらない分野、しかし「生活にかけがえのない分野」であるからだ。確かに無駄な箱物の建設は僕も反対だ。例え会社の収益が増えようとも無駄なものは社会悪だと思う。しかし、公共事業とはそれだけではない。災害復旧・自然の環境保全・バリアフリー・交通の安全・土地利用の促進・インフラの補修・などなど。本来ならば着目されるべき存在にも関わらず着目されない「マイノリティな分野」に関わる事で人の生活の下支えの重要さを十二分に感じえる事ができるからなのだ。
そりゃあたまには「華やかな世界」に憧れますよ。もっと若い女性に囲まれたキャピキャピな環境に。だってオッサンばかりだし、業界人も会社も。学生時代にサークルを自分達で作って女子大生と楽しくやっていた事を思えば、何故こんなに地味な業界に自分がいるのかと不思議に思うときもある。でも、もうそんな事を考えるのはよそうと思う。世の中の地味な作業の下支えにわずかながらでも役立っているのかも、と思えばそれで僕はいい。そう決めたんだ。
昨日も送別会だった。人がいなくなっていくのは寂しい。会社の業績も厳しい。でもだからこそ今踏ん張らなければいけないのだ。公共を通じて生活の中の補完役に徹する事に決めたのだ。

最後に。以前にも書いたが、「自助は多くの他助を通じて成り立つ」事を忘れないようにしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿