2011年5月9日月曜日

終焉

何をどういう風に書いて良いのやら。
僕が出向している先の会社が、来月9日をもって倒産し、競合であった会社に事業譲渡される事が今日の午後4時に発表された。僕は社会人歴22年目だが、ずっと同じ業種に関わってきた。入社6年目の1996年1月に僕が所属していた部署・及び関連する営業部隊・開発・そして販売店2社が合併し、僕が今所属(出向)している会社が設立された。その時点で既に業界ではコンピュータ及び専用ソフトウェアの設備投資は飽和状態にあり、営業部の売り上げも落ち込んでいたので、前途洋々の会社設立というよりむしろ「不採算事業の切り離し」のようなものだった。そんな中で当時の時流だったMicroSoftの戦術にあやかり、Windowsでの業務システムを淡々と作り上げてきた。「業務を知らない」「無知」「使えないAP」などと叩かれながら15年。そんな中でもそれなりに業界では知られた存在ではあったし、3000社以上のお客さんから使われていた。でもやっぱりそういう中で自分達に甘えや驕りがあったのだと思う。公共事業が削減されたという逆風はあったにはあったが、それだけが理由ではない。出向先の会社を繁栄させられなかったのだから、僕は役目を果たせなかったのだ。全ての事業譲渡なので雇用は全員確保されるのはせめてもの救いだ。負け犬のような気分だな。
自分が無力だと感じたの3.11後だった。国際航業は津波被災マップを公開したし、全国の有志はGoogleMapなどを利用して炊き出しマップを作ったりしていた。でも僕たちは何も提供出来なかった。同じ地図に関わる仕事なのに。結局は、自分の目の前の仕事のみ仕事だと思い込んで、何か新しい物を模索しようという行動が不足していたんだ。

くやしいなぁ。

でも今何を言ってももう遅い。書いても何もならないが、この思いを今日ブログに刻んでおきたかった。

2011年5月6日金曜日

数値や規約に固執すべきなのか?

こんな事をブログに書いたところで状況は何も変わらないのだが、思っている事を書きたい。

まず、福島県内の小学校や幼稚園の校庭利用基準を20mSV/年に引き上げられた件に関して。僕の個人的意見は、20mSv/年はとてもイメージとしてとても大きな数字で、日本人の普段の生活が及ぼす放射線量が年間2mSv~3mSvと言われているので、その7~10倍の数値設定だ。いくら医学的に影響が証明されていないからといって、今までほぼ0だったものがそんな数値に置き換えられるのはどうか?と思う。しかし!である。結局こんな数値論を語ったところで(5mSvか10mSvか20mSvか?など)それは個々人が(特に福島県民が)どうその数値を捉えるか?という話に過ぎず、その対象外(福島県民以外)の人間はその数値に対してあーだこーだ言っても始まらないのだ。今、子供を持つ家庭の福島県民の方々に我々がすべき事は

・疎開できる場所を多く提供する。
・疎開しても皆が協力して支える事を約束する。
・疎開した先での雇用の場を皆で協力して生み出す。
・疎開した人を差別するような愚かな行為を断じて許さない。

など、「子供は疎開する事が大前提」という事を強くメッセージ化し、かつその実現に向けた行動を少しでも行う事だと思うのだ。でないと、結局は福島の方々は疎開を選ばない。その位に、その生まれ育った地域に対する愛情は強いのだ。また今まで培ってきた生活のサイクルを崩したくないのだ。僕の義父の実家が福島の南相馬市で、福島原発から20km~30km圏内らしい。しかし一時的に避難したそうだが今は戻ってしまった。いくら親戚が説得しても無駄らしい。高齢(75歳前後)だという事もあり、もう福島から離れたくないようだ。僕の実家の母(千葉で1人暮らし)も、福島県民ではないが状況は似ている。いくら一緒に暮そうと説得したり、長野の義兄が「来てください」と言っても絶対に千葉から離れない。その地域への愛情・自分の家への愛情なのでしょう。
でも、それを充分理解した上でも、しかし子供は別だと思うのですよね。なので兎に角疎開が前提にして、疎開できない外部要因を無くす事が先決だと思うのです。それが出来なければ、数値の規定が20だろうが30だろうが実質同じだと思うのです。疎開の受け入れ先も、少しずつ各自治体で用意できているみたいですね。「貴方の愛する地域から離れる事、仕事の糧を無くして不安な気持ち・絶望感は充分察します。しかし今少しでも放射線量が子供に及ぼす影響が不安なら、思い切って疎開して下さい。」というような強いメッセージを出し、受け入れ先の住民は温かく被災者の方々を迎え入れる事が大切なのではないでしょうか?20mSvうんぬんではなく気持ちとしては子供を疎開させたい親は多いと思うのです。

また、先日の朝生で「職を失った方々への職業トレーニングが実施されているが、隣で瓦礫撤去など行っている傍らで、疑問を感じながら『挨拶』や『名刺の授受』などのビジネスマナー講習を行っていた。」と言っていた。小野寺議員は「講習内容に『ボランティア・地域活動』などを記載していれば、隣で行っている作業に参加する事ができる」と発言されていたが、僕は「そういうレベルの問題なのか?」とつい笑ってしまった。これは政治家や厚生労働省(?)の役人さん方の責任ではないよ。個々人が単に「今はこんな規約に基づいて行動すべきではない」と考えて実践すべきなのだと思う。というか、常識じゃないのか??そんな事。何でもかんでも「規則がこうなっている事がけしからん」だの「政治家や役人が無能だ」だの、こんな非常時には、そんな事言う前にできる事が沢山あるのではないか?と思うのは僕だけでしょうか。

2011年5月3日火曜日

Andy Mccoy♪ ~薬と酒まみれ~

 Andy Mccoy(アンディ・マッコイ)である。元ハノイロックスのギタリストだ。写真の左側の人である。僕の大好きなギタリストの一人だ。何故Andy Mccoyかというと、最近発売されたMcheal Monroe (マイケル・モンロー:写真右)の新譜『Sensory OverDrive』 の出来が中々ヨロシイ♪からだ。あれ?何故マイケルじゃないのかって?そりゃあ、俺がひねくれ者だからだ。

アンディのハノイロックス以外の活動を、大きく3つに分けて書こうと思う。まずは僕がアンディの活動の中で「このバンドは良かった!」と思うCherryBobmzから。アンディがヴォーカルの女性(アニタ?忘れた笑)を飛行機の中でナンパしてできたバンドで、2枚のシングルと1枚のライブアルバムを発売して「これからじゃん!」と思っていたらそのヴォーカリストが有名ロッカー(誰だったっけ?笑)と駆け落ちして解散したorzという、何ともいい加減な始まり方で最後もいい加減なバンドだった。しかし曲は良かったよ。僕は当時ハノイロックスより好きだったかもしれない。不思議な甘酸っぱさのあるメロディを奏でるバンドでした。





その後、彼はイギーポップのツアーにギタリストとして参加したり、シューティング・ギャラリーなんていうバンドを組んだりしていたが(1枚のアルバムを発表し、すぐ解散)、その他の期間は淡々とソロ活動を行っていた。彼の世界観は本当に唯我独尊で、何とも味があり怪しい雰囲気の音楽を奏でていた。彼の音楽には酒と薬の匂いがプンプンして(俺は薬なんてした事ないけどね(笑))、まぁ受け付けない人は全く受け付けないと思うけど、僕の心はメチャメチャ鷲掴みにされましたとさ♪





そして2003年にハノイロックス再結成という、僕にとっては奇跡の復活を遂げてくれた。3枚の作品を残した後、2008年(2009年?)に惜しくも解散した。今アンディはどのような活動を行っているのかも知らない。地元フィンランドで地道に活動しているようだが、よく分からん。下はローリングストーンズの有名曲『Wild Horses』。しかし、この『Wild Horses』をコアなストーンズファンやミックジャガー本人が聴いたらどう思うだろうね(笑)

地元の小さなチャリティコンサート

 先週土曜日(4/30)に、埼玉県戸田市の後谷公園という所で地元有志の楽団による東日本大震災復興チャリティーコンサートが行われた。僕の妻が吹奏楽の楽団に参加しており、今回のコンサートに出演するという事で、僕も子供とともに見に行った。 妻の楽団は震災の後「みんな練習をする気にならない」という理由で自粛していたのだが、つい2週間前から活動を再開した。クリスマスの定期演奏やお祭り・チャリティー・小学校などへの参加など地域に密着した活動をしていた事もあり「えー!?確かに自粛する気持ちは分かるけど、いい活動していたんだし、また再開すべきだよ!」と何度か言っていたので、練習再開は喜ばしい事だと思っていた。その再開の理由は、このチャイティコンサートにあったらしい。やるじゃん!戸田市の市長さん(神保市長)や議員さん(さいとう直子議員)など、普段から地元楽団への理解がある地方議員の方々もいらっしゃる。こういう議員さん方との繋がりがあると、政治も身近に感じてくる。 肝心の演奏も、参加された楽団全て良い演奏を聴かせてくれました。被災者の方々の大変さに対して何か直接的に役立つ行動ではないのかも知れないけど、細やかながら義捐金を集めて被災地に送るという気持ちも大切だと思う。この気持ちや行動を継続しなければいけないな、と一国民として思いました。残念だったのは、子供が併設する公園で走り回って遊んでいたのでゆっくり演奏が聴けなかった事で(T_T)、それも小さい子供を持つ親としては仕方がないかな、と。  なお、写真は「管打楽器隊まかろん」の皆さんです。何となく写りがいいので?載せてしまいました。あー、俺も楽器何か始めようかな~。

youtube に動画が投稿されていた。へ~♪

2011年4月21日木曜日

原発が日本の現状を露にする --資本主義の歪み--

僕は大学を卒業し社会人となって22年目になる。21年の社会人生活の中で、公私に渡って多くの人達と出会う事ができた。その中で、ビジネスにおいて「この発言は如何なものか?」と思うような事を口にする人に出会う事がある。例えばこんな発言だ。
...その方がいらっしゃる地方に豪雨なので災害が起きたときなど...
「この度は大変な被害でしたね。どのような状況なのですか?」
「いやぁ、もうちょっと被害大きかった方が良かったね。これじゃあ災害復興の仕事も中途半端だよ。金にならないね。」
きっと発言している方は冗談のつもりなのだろう。そういう時は「あー、そうですか。」と適当にかわす事にしているが(きっと悪意はないという前提で)、しかし冗談にしてもこのような発言は道徳的にどうなんだろうと思います。僕が青臭いのだろうか?しかもこのような発言をする方は意外に多かったりする。冗談でも子供には聞かせたくないセリフだ。僕の知り合いで石油業界に勤務している知人がいて、2001年の9.11の直後にその知人に何気なく
「いやぁ、大変な事が起きたね。アメリカとアフガニスタンが戦争にならなければいいけど」と言ったら
「あ~、適当に爆弾落として終わりじゃない?まぁ人が死なない程度にさ。アメリカだって石油を安く手に入れたいだろうからさ。」
その時はあまりに意外な事を言われたのでビックリして怒りもできなかった。ビジネスによってかどうかよく分からないが、人の不幸に対しての感覚が鈍っているのであろうか?僕には理解できない感覚だ。

原発という巨大なプラント工事・燃料の重量に対して想像を絶する電力エネルギーを出力するによる費用対効果・電力会社が独占的である事による電気料金の高さ、収益の大きさ・巨額の広告料や裏金などでマスコミや政治家を利用したプロパガンタ。極端に言えば、金のためなら何でもやるという姿勢。最近で言えば、計画停電とは一体何だったのかと思う。もうかれこれ行われていない。これは一般家庭や企業努力の賜物か?いや、元々電力は足りていたと社民党党首・福島瑞穂議員はツイッターで書き込みしていた。ほんの一部の連中がこのようなふざけきった事を考えるのだろう、せめてこの大災害の最中である今はそう思いたい。でも人は何故、決して正しい行為とは思えない事に対してもビジネスという言葉で表現してしまうのだろうね。僕も回り回って、あるいは直接的に恩恵を被っている。公共事業に関わっている仕事に携わっているから。だからいつも思うのです。せめて明らかに無駄なものだけは公共事業投資して欲しくないと。でも日本には50を超える原子力発電所があり、電力は余っている。電力だけではない。地方には車もロクに走らない高速道路や、どう見ても必要性を感じない空港などを作り自然を失っているのが現実だ。
それでも人々の生活がある程度平たく豊かになれば、それはそれで良いのかもしれない。でも現実は違うよ。巨額の富を得たにも関わらず、一番重要な安全面・メンテナンスに関しては「費用対効果が見込めない」などという、単に数値的論理だけの空論で削減されるのだから。作成時に関しても災害の想定を高く見積もる事をせず、それを「コスト削減に成功した」などと表現して、富を一部の人間が握りしめているのだ。実作業者(主に下請け業者)はコスト削減されているのだから収入も少ない。しかし仕事がない(本来あるのだけど)地方に大型事業を持ってきて、その事業に携わる市民を少し潤す事で利権者は巨額の富を得て陰で笑っているわけだ。

しかし今回の福島原発の事故により、その歪みが露になった。その被害の収束を必死に行っている方々は下請け業者や自衛隊や消防隊の方々だ。僕は彼らの体を張った行為に心から感謝と尊敬とお詫びをするよ。電力供給を得ていた1人として正面から向き合わなければいけない。その反面、巨額の富を得ていた人達は表に出てきているのか?東京電力だけではないだろう?原子力保安院や安全委員会を責めていればいいのか?違うよ。もっと多くの人が直接的に関わっていたんじゃないのか?責任論を言ったところで災害が止まるわけではないが、せめてもう福島の悲劇を2度と呼ばないようにしようよ。原子力という人間のコントロールを超えた存在によって日本が無くなるかも知れないよ。

今日、こんな記事を見つけた。言葉を失います。

福島が殺される



2011年4月20日水曜日

原発が日本の現状を露にする --楽観論--

昨日の投稿の続き。今日は「楽観論」について書くことにする。(昨日の動画も下に添える)

1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見

2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた

僕はこの楽観論は日本の至る所に蔓延っている主たる問題だと常々思ってきた。「事なかれ主義」「性善説」「なんとかなるさ」ざっとこんな言葉が頭に浮かぶ。要するに、実現するかどうかの裏付けがないまま事が進み、後付けで何とかしようと取り繕う姿勢だ。よくあるよね?
例えば僕が知人から聞いた話だ。新しい商品(業務パッケージ)に向けてのプロジェクトが発足された。本来ならばこのプロジェクトの発足時から技術者を入れておくべきだ。でないと本来工程表や稼働時期予測などができない。しかしこのプロジェクトは一部上層部(役員・株主)で希望的観測による発売時期目標が定められ、知人が参加した会合では関連会社を含めた大々的な発表会になっていた。そもそも商品のコンセプトも決まっていないのに、である。商品発売は10か月後!ダルマの目入れ式は粛々と進む。知人は絶対無理だと心の中で叫んでいたのだが、とても言い出せる状況にない。そして宴もたけなわの頃、1人の出席者が「ところで、10か月で大丈夫なの?」...『あの時無理だって言えば良かったんだ。今でも後悔している。俺たちが開発している商品は技術計算も多く含むので問題が生じると訴訟問題になるし、過去の商品でお客様から戴いていたご要望・開発者として実現させたい夢などもあったから。でも全体が突き進んでいるあの場では言えなかった。それに何の根拠もないが、(気合を入れて頑張れば何とかなるかも知れない)とも思ってしまった。精神論が出てしまったんだよね。』何とか回復可能な工数なら挽回できるが、そもそも商品コンセプトという一番大切なマップがない。営業を含めた商品構想会議もそう簡単にはまとまらない。個々の営業事情もあり、丁寧な議論とプレゼンを重ねれば時間がかかって当然だ。工期が差し迫るとソフト開発会社をあたりまっくて人員増員作戦。しかし新規参入のプログラマには商品コンセプトなどそうそう簡単には伝わらない。意図せぬ成果物。作っては修正。部長は「元々10人体制で工数1年なら、20人で半年に縮まるはずだ。」そんなに話はうまく進まない。構想・設計・新規技術の習得・作業者への伝達・検査・上司への辻褄合わせ的な状況報告。殆ど休みなし。度々続く徹夜の日々。結局、営業や技術者が反対するにも関わらず上層部に押し切られ発表後1年半で商品販売。商品が不安定なため市場の不評を買い、落ち着くまでに3年。知人は『2年あれば内容も品質も安定した商品が完成したと思う。あの頃は始めの期日に何とか間に合わせようと兎に角作る事にしたので、作業も混乱したし後戻りも多かった。初めて一緒に仕事する委託者に伝えるのは難しかった。それに多く蓄積していた要望も何とか入れた形の商品にしたかったから。でも何を言っても今となっては言い訳だけど。』

...これって僕の会社の事かって?...秘密だよ(笑)

「市場が今攻め時だから」「営業が売り玉がないと嘆いている」「ウチの商品は市場から陳腐化されていると思われてないかな?」営業の苦労・上層部の狙い・充分に理解する。僕も営業同行やお客さんへのサポート活動で痛いほど感じてきたから。でも出来ないものは出来ない。しかし実務者はそれを言い訳と自問自答する時があるのだ。そういう形で、何の根拠もない構想と希望的時期が有無を言わさぬ全体行動へと繋がり、理論武装だけでは止まらない強いうねりに流される。こういう経験をお持ちの方は世の中に多いと思うのだが。

...でも絶対してはいけない事なのだ。結局は品質を損ねるから...

このような話を、元原発技術者の菊池さんが語っていますね。僕は菊池さん他作業員のご苦労を痛いほど感じる。ジレンマがよく分かる。そのような問題を生み出すのは、よく実情を理解していない人の「楽観論」と、それを何とか実現しようとする実務者の「精神論」なのだと思います。しかもその楽観論の根拠が単なる金の話だとしたら、もう悲劇だ。

神保哲夫氏・宮台真司氏・青木理氏など「のマル劇トークオンデマンド」で「あえて最悪のシナリオを考える」という特集を組んだり、上杉隆氏が「まずは最悪の状態を想定してオフセットを大きくとり、徐々に狭める」という発言をしていた。彼らは「パニックを生む原因になる」とか「風評被害に繋がる」などと批判を受けたらしい。しかし僕は別に責められる行為とは思わない。むしろできる限りのシュミレーションを行う為に考えられうるシナリオを想定して其々に行動指針を定める事は重要な事で、単にその中で最悪と思う所をピックアップして基準を定めた話に過ぎない。想定外のアドリブ行動をなるべく回避するためにシュミレーションするのだから。自己の行動を安全にするためなのだから。
下らない例だけど、将棋だって相手の打ち手を想定しながら勝負するよね?麻雀だって手持ち13パイで勝負できるほど自分に自信が無かったら安パイ持っておくでしょ?それが最悪のシナリオ想定だよ。普段からやっている事じゃないか。

原発が日本の現状を露にする --大型工業地帯の盛衰--

僕は原発に対してこんなにも仰々しいタイトルほどの知識も無く、こんな事を書いて良いのかという疑問を自らに抱きながら、あえて書く事にした。
昨日・そして今日視聴した2つの動画がある。この2つの動画は、原発を通して日本の現状を様々な面で露にしてくれたと思っている。

1.佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見

2.心からの叫び 元原発技術者菊池洋一さん中部電力静岡支店で訴えた

今日は「大型工業地帯の盛衰」について書いてみたい。「企業誘致」という言葉を聞く事がある。大企業や大型公共事業を誘致する事で地元に雇用と富を生み出し、”経済発展”する事でその地方の住民の生活を豊かにする事を目的にしたものだ。これは決して悪い事ではない。雇用を生み出すのだから喜ぶ住民も多いだろう。しかし大型であればあるほど、繁栄も大きければ衰退も大きい。
僕は3歳で千葉の君津市に福岡県から引越してきた。新日鉄に働いていた父の転勤のためだ。福岡だけでなく北海道からも君津に越してきた人達も多く、僕が住んでいた近くには地元住民よりも移住者の方が圧倒的に多かったように記憶している。社宅に住んでいた頃は、周りには福岡から転勤してきた家族が殆どで、僕は千葉に居ながら九州弁で過ごすという今から思えば不思議な環境で育った。新日鉄は当時物凄い勢いがあり、僕の家族は社宅(賃貸)から一軒家に住み替えてそれなりの暮らしをして来た。僕の父は製鉄業や地元の土地開発事業などに携わっており、農地・山を商業地・ゴルフ場などに変えていく様を自ら手がけていたと、父の葬儀の際参列して戴いた方々から聞いた。僕が引っ越してきた頃から、君津は見る見る内に変わっていった。僕もその様子を見て育った。
しかし僕が高校の頃位からだろうか、新日鉄は売り上げを下げてきた。今から思えば軍事産業の恩恵も受けていたんだろうね。工場の休止・閉鎖が少しずつ実施されるようになった。そして僕が大学に行く頃に大型のリストラが断行された。僕が小さい頃からお世話になった方々の何人かも対象になった。工場は不必要になったからといって何処かに譲る事もできないし、かと言って盛況な時は必要性もあり工場の規模は広がっていく。今は君津の社宅の一部はゴーストタウン化している。住む人もいない。少しずつ住宅街に変えようとしているみたいだが。
何事にも盛衰はあるもので、それ自体が悪いとは言えない。恩恵も受けた身なので悪いなんて言えない。でも大型化していけばいくほど衰退期の傷(リストラなど)は当然大きく、また残った使用しない工場は他の利用も難しく、農地や漁場にも戻らない。そして幼少期を過ごした僕の世代は、東京が近い事もあり、また元々地元民ではない為か多くは地元から離れていった。そうなると大きなゴーストタウンが出来上がるのだ。これは、経済成長に必死だった時代ならともかく今の時代には適合しないように感じる。もっと自然を重視し、不要な際には他利用が困難な産物を極力生まない事が重要だと思う。しかもこれから人口は確実に減少していく。地元が本当に必要な小さなコミュニティ企業を増やしていく事がこれから求められるのではないかと思う。

今、福島原発が地震と津波による災害で事故になりまだ事態の収束は向かえていない。それにも関わらず原発の新規増設が図られるような計画が噂されている。人口減少により電力需要も減る事が予想されているにも関わらずである。さすがにおかしいよね。それに原発である必然性もない。風力や太陽光などの自然エネルギー利用で良いではないか。僕は今の東北の悲劇を目の当たりにする状況下であるこの期に及んで必要なき公共事業に走ろうとする一部利権者の心理など考えたくもないのである。