2011年5月6日金曜日

数値や規約に固執すべきなのか?

こんな事をブログに書いたところで状況は何も変わらないのだが、思っている事を書きたい。

まず、福島県内の小学校や幼稚園の校庭利用基準を20mSV/年に引き上げられた件に関して。僕の個人的意見は、20mSv/年はとてもイメージとしてとても大きな数字で、日本人の普段の生活が及ぼす放射線量が年間2mSv~3mSvと言われているので、その7~10倍の数値設定だ。いくら医学的に影響が証明されていないからといって、今までほぼ0だったものがそんな数値に置き換えられるのはどうか?と思う。しかし!である。結局こんな数値論を語ったところで(5mSvか10mSvか20mSvか?など)それは個々人が(特に福島県民が)どうその数値を捉えるか?という話に過ぎず、その対象外(福島県民以外)の人間はその数値に対してあーだこーだ言っても始まらないのだ。今、子供を持つ家庭の福島県民の方々に我々がすべき事は

・疎開できる場所を多く提供する。
・疎開しても皆が協力して支える事を約束する。
・疎開した先での雇用の場を皆で協力して生み出す。
・疎開した人を差別するような愚かな行為を断じて許さない。

など、「子供は疎開する事が大前提」という事を強くメッセージ化し、かつその実現に向けた行動を少しでも行う事だと思うのだ。でないと、結局は福島の方々は疎開を選ばない。その位に、その生まれ育った地域に対する愛情は強いのだ。また今まで培ってきた生活のサイクルを崩したくないのだ。僕の義父の実家が福島の南相馬市で、福島原発から20km~30km圏内らしい。しかし一時的に避難したそうだが今は戻ってしまった。いくら親戚が説得しても無駄らしい。高齢(75歳前後)だという事もあり、もう福島から離れたくないようだ。僕の実家の母(千葉で1人暮らし)も、福島県民ではないが状況は似ている。いくら一緒に暮そうと説得したり、長野の義兄が「来てください」と言っても絶対に千葉から離れない。その地域への愛情・自分の家への愛情なのでしょう。
でも、それを充分理解した上でも、しかし子供は別だと思うのですよね。なので兎に角疎開が前提にして、疎開できない外部要因を無くす事が先決だと思うのです。それが出来なければ、数値の規定が20だろうが30だろうが実質同じだと思うのです。疎開の受け入れ先も、少しずつ各自治体で用意できているみたいですね。「貴方の愛する地域から離れる事、仕事の糧を無くして不安な気持ち・絶望感は充分察します。しかし今少しでも放射線量が子供に及ぼす影響が不安なら、思い切って疎開して下さい。」というような強いメッセージを出し、受け入れ先の住民は温かく被災者の方々を迎え入れる事が大切なのではないでしょうか?20mSvうんぬんではなく気持ちとしては子供を疎開させたい親は多いと思うのです。

また、先日の朝生で「職を失った方々への職業トレーニングが実施されているが、隣で瓦礫撤去など行っている傍らで、疑問を感じながら『挨拶』や『名刺の授受』などのビジネスマナー講習を行っていた。」と言っていた。小野寺議員は「講習内容に『ボランティア・地域活動』などを記載していれば、隣で行っている作業に参加する事ができる」と発言されていたが、僕は「そういうレベルの問題なのか?」とつい笑ってしまった。これは政治家や厚生労働省(?)の役人さん方の責任ではないよ。個々人が単に「今はこんな規約に基づいて行動すべきではない」と考えて実践すべきなのだと思う。というか、常識じゃないのか??そんな事。何でもかんでも「規則がこうなっている事がけしからん」だの「政治家や役人が無能だ」だの、こんな非常時には、そんな事言う前にできる事が沢山あるのではないか?と思うのは僕だけでしょうか。

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