2011年4月6日水曜日

3.11大震災 そして その後 Part3


今日もまた書き連ねてみようと思う。先週から今日までの事・そして今まで書いていないが印象に残っている事。
先週から「まずは自分に課せられた仕事をこなそう!」と気持ちを引き締めた。先週・今週にかけては、以前に比べ残業は減ったがその分朝の出社を早め、それなりに仕事に没頭した。そんな中で、先週水曜日に出向先の社長と在籍会社の役員に呼ばれ、ある重大な発表を聞いた。ずっと恐れていた事が現実になった。しかし僕はその告知を受けながら、残念な気持ちになりながら意外に冷静に対応していた。この話は会社として公表されていないために詳しくはここまでにするが、間違いない事実として僕はとある地方に転勤になる可能性が大になったという事だけははっきりした。受け入れたくない現実。最悪とも言える結末。しかし、それも自分の頑張りが不足していた事が原因なのだ。そんな大変な内示があったにも関わらず、まだ社内では公になっていないため、今週も何事もないかのように仕事をしている。そして今日に至るというわけだ。今日のTwitterのTLには、「福島原発 再臨界か!?」なんて報告も入ってきている。でも、万が一(どうも可能性が高そうだが)そうなったとしても、その事実を踏まえて対応するしかないのだ。子供には罪もないし放射能被害などで将来を無駄にしてほしくない。何としても子供だけは救う。今考えているのはそれだけだ。
その他の事も書いてみたい。大地震の次の日の事だ。娘が書道で何か書きたい、と言い出した。大地震を経験し、何かを残しておきたかったのだろう。「何を書こうかな」というので「『平和』なんていいんじゃない?」と薦めてみた。「『平和』かぁ」娘は僕たち家族の前で書き始めた。その後僕は会社に行き、母を実家に連れて戻ったのだが、僕が家を出た後に娘は別の言葉を書いたようだ。それが上の写真の字です。
もう一つ。3月26日(土曜日)僕は偶然、昼の3時頃に池袋の駅前に居た。そこでは元共産党の小池晃さんが東京都知事選の選挙演説を行っていた。(どうも世の中には共産党に対する色眼鏡的な見方があるようだ。少なからず僕にもある。しかし共産党支持者は意外に多い事も知っているのだが。)今まさに直面している震災・原発被害、そして以前から問題視されている病院不足、そしてあまり知られていないが実は東京は日本で一番高齢化が進む事など(団塊の世代が地方から移り住み、生まれ故郷に戻らないため)、東京が抱えている諸々の問題点に対する自分の考えを語っていた。東京都民ではない僕だが、職場が東京という事もあり、その演説に聞き入っていた。(15分位立って聞いていたように思う。)しかし、若者を中心とした、駅前にいる人たちは殆ど立ち止まる事無く”スルー”していたよ。その様子を見て、僕は思ったよ。「何だよ、日本・特に東京の人たちは何も変わっていないじゃないか!」とね。ダメだこりゃ。東北の被災者の痛みを感じている様子もない。福島原発は関東地方(特に東京)の電力供給のために、関東圏外の福島県に作られた事に対する自覚も見えない。悲しくなった。でも、僕はそんな世の中の空気には流されないよ。「日本を変える!そして子供達世代に引き継ぐ」この気持ちを強くした。

最後に暴言一発。「愚民政策」って言葉があるよね。官僚や政治家などの権力層が、国民に事実を伝えないで都合のいい情報だけを新聞やテレビで報道して国民の意識を高めない作戦、みたいな。僕は思うよ、「愚民政策」じゃないって。実際「愚民」なんだよ、今の日本の大多数は。僕も含めて人の痛みが理解できない愚か者なんだと思うよ。僕は3月26日のあの池袋の駅前を見てそれを確信したんだ。

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