2010年12月31日金曜日

亀井静香さんを支持します!




今年最後の投稿です。今、世の中で「菅vs小沢」という政局がバチバチに行われているが、僕にとってはあまり興味がない。僕は今や完全なるアンチ菅総理なので(この人ははっきり言って詐欺師だ)小沢氏をその意味では応援しているのだが、では小沢氏が良いのか?といえば、「う~ん、そうだねぇ」と消極的賛成というのが偽らざる気持ちなのだ。
僕の手元に、2冊の本がある。ある人物にフォーカスを当てているためである。
1.「痛快言行録 亀井静香が吠える」 高橋清隆 著
2.「記者会見ゲリラ戦記」 畠山理仁 著
政権交代前は、はっきり言ってこの人は大嫌いだった。マスコミの「下品な古臭い金まみれのオヤジ」という洗脳に騙されていたのだ。(まぁ騙されていたのではないかも知れないが。下品なのは本当だし(笑))ホリエモンとの2005年の郵政選挙の対決の時などは、選挙演説で歌を歌う亀井氏の映像を見て「落ちてしまえ!」などと暴言を吐いていた。(反省しています。すみませんでした。でもホリエモンも好きですよ。)2009年の衆議院選挙の際、国民新党と民主党が連立を組むと発表したとき、社民党嫌いだった事もあり(民主党と社民党との連立も発表されていた。社民党は今でも嫌いです)比例区ではみんなの党に投票したくらいだ。その位亀井氏を嫌っていた。
亀井氏に対するイメージを180度変えるきっかけとなったのは「郵政民営化を一旦見直すという強い姿勢」と「モラトリアム」である。この人はルールを強引に変更してでも国民の財産と命を守る強い気持ちを持った政治家だと知ったからだ。弱い人の味方だからだ。特に「モラトリアム」という発想は、「人間が作り上げた規則なんだから」とつい考えがちである僕のような一般人にはない「とにかく人のためになるようにルールを変えるべきなんだ」という素晴らしい考えだ。きっと担当させられた大塚さんと田村さんは大変だっただろう(笑)でもこれが本来政治家のあるべき姿だろう。大塚さんは「この人になら一生付いて行く」と語っていたそうだが、きっと僕もそうだろうと思います。
今の日本に欠けているのは「人と人との繋がり・和」という概念だ。「弱い立場の人を助けてあげよう」という人情だ。それをこんなに強くメッセージ化してくれる。日本人は、このような嫌われても自分の正しい主張を変えないこの立派な政治家を誇りに思わなければいけない。(でもせめて髪の毛の寝癖は直して欲しいが(笑))
「これはマスコミが集団発狂しているんだと思う」
「記者クラブの連中は財務省に洗脳されている」
「誰でも来ていい。渋谷でウロウロしてシンナー吸ってヘラヘラしてるような若者でも構わない」
「この亀井静香をCIAが暗殺しない限りアメリカの言うとおりにはならない」
痛快だよね。頼もしい。心強い。この人のメッセージを国民が本当に理解したら、日本はガンガン上昇すると思います。まぁ権力側は嫌うだろうが。
今、小沢一郎待望論が強いようだ。僕も小沢氏の言葉は好きだし、きっと世の中は変わるだろう。しかし、もっと身近に国民のために行動してきた政治家がいるではないか。僕は亀井静香さんこそ日本の今の総理大臣に一番相応しい方だと断言する。

調味料なんていらない? ~オヤジなりに食を考える Part4~

今日、幾つ投稿してんだよww
つい先程、朝食をとりました。今日のメニューは「鳥もも肉焼き」である。一人だと自由なメニューを楽しめて、ある意味快適だ。(ちなみにカミサンは子供を連れて実家に帰省している。しかし「もう一緒にアナタとは住めません!子供と実家に帰らせていただきます!」というわけではない。単なる帰省だ。)
鳥もも肉焼きの作り方は簡単だ。鳥もも肉をフライパンに乗せ、両面強火で焼いた後に日本酒をかけ、弱火でじっくり焼き上げる。以上。・・・何て簡単なの??
そのまま食べても十分美味しいが(もともと鶏肉大好きなので)ほんの少しだけウスターソースをかけても美味。一度お試しあれ~♪(誰に言っているのか?)

・・・ね?調味料なんて要らないでしょ?・・・(だから誰に言っているのか?)

ちなみにご飯を炊いていなかったので、代わりに『赤いきつね』を食す。化学調味料満載...意味ないじゃんT_T

我思う故に我あり 「自助」

自助という言葉について、思いつくままに書いてみたい。
「自助」とは、『他人の力を借りず、自分の力だけで事を成し遂げる事』とある。(大辞林)素晴らしい言葉です。一人の大人として、胸に刻まなければならない言葉だと思います。なので、なるべく出来る事は進んで自ら行うようには心がけています。
しかし、僕は不器用で不勉強だからか、自分で完結できない事にちょくちょく遭遇する。仕事でもそうだし、実生活でも洗濯や片付け・掃除は苦手だし、子供と話していて「パパ、○○ってなぁに?」という問いに答えられなかったり、遊びも思いつかなかったりする。それでも極力勉強してできるように努力するのだが、実はその学びのコンテンツ(辞書・辞典・インターネット・技術本など)は自分以外の人達の努力によりもたらされている事を改めて知るのである。よくよく考えてみれば、蛇口を捻れば水が出る事・スイッチを入れれば明かりがつく事・コンセントからは電気が供給される事・川や公園が保全されている事・道路が平らな事・日常当たり前に見過ごす事に、多くの人達の努力が注がれているのだ。この多くの「他助」を得る事で生活や学びが行え、そのおかげで自助が実現している。
そう。僕から言わせれば「自助」とは「多くの他助の恩恵に対する、些細な恩返し」なのだ。
...うーん、イマイチの出来かな...(詩人気取り(笑))

フリージャーナリストを応援したい

すんごい久しぶりのブログなんですが...
今年はいろいろ新しい事を学んだ1年でした。政治家は実は然したる権力を保持していない事、Twitterという受信・発信の素晴らしいツールを知った事、そして何よりも世の中にはTV・新聞の他に、ブログ・書物・ネットでの素晴らしいフリージャーナリズムが存在していると知った事である。
世の中にはTVや新聞で表す事はない事実がある事は、何年か前から知っていたが、それは1部趣味的な、何とも親切なブロガーの方だけだと思っていたが、昨年普天間問題でネット検索していて偶然知った「きっこのブログ」が、更に僕がフリージャーナリズムを知る大きなきっかけとなった。
ざっと挙げて(敬称略)、The Journal、天木直人、田中宇、神保哲夫、宮台真司、上杉隆、岩上安身、田中龍作、青木理、寺澤有、副島隆彦、植草一秀...。そしてきっこやRollingBeanなどに代表される優秀なブロガー達。全部読みきれない、見切れない位。また、Twitterでの新しい情報も収集できる。本当に新聞やTVを見なくなった。(といっても、根っからのTV人間だった僕は新聞・TVを完全否定するわけではないが)
これだけの優秀な情報を見るだけでも、一つわかったことがある。それは「情報は全て鵜呑みにしてはいけない」という事である。事実はどこまでか、事実に基づく情報分析はどこまでか、また感想はどこまでか、そして重要なのは「自分はどう感じるか」である。僕を学びの世界に引きずり込んでくれた事を大いに感謝したい。
先日ニコニコ生放送で、田原総一郎(なんだかんだ言ってこの人の番組観るんだけど)司会の「2010年こんなジャーナリズムで大丈夫か?」という番組を行っていた。そこで青木理さんがこんなニュアンスの重要な発言をしていた。「取材には時間やお金がかかる。しかもその記事が一般受けしない事もある。なんだかんだ言って最後に生き詰まるのはお金の問題なんだ」。これはとても重要なポイントだ。特に青木さんのように警察・刑務所など、かなり暗部に入り込んだ、あまり人が寄り付かない、しかし重要な記事にはあまりお金が流れない。ジャーナリズムに限らない『仕事内容による収入の差異』の問題だ。このような理由で、手間のかかる行為を放棄し人受けが良さそうな報道に流れていく事は日本にとって損失ではないかと思う。日本にある有益なジャーナリズムを知らしめたり、金銭的なハブになれないか?というテーマを、来年真剣に考えたい。

2010年12月7日火曜日

オヤジ、コンソメに完敗 ~オヤジなりに食を考える Part3~

今日、WikiLeaksの創始者 ジュリアン・アサンジ氏がイギリスで逮捕された。明らかに恣意的なこの逮捕は、世界を裏で支配する権力者は不正義である事をあらためて証明した。ちなみに、今日歌舞伎役者の海老蔵君が不祥事のお詫び記者会見を開いた。これはどうでもいい事だ。

・・・こんな世界的に重要な日に、こんな投稿をする自分が好きだ・・・

2日前の日曜日、僕はまたまた料理の腕を振るった。(というか、無理矢理作らせてもらった)妻と娘は出かけており、僕と息子の2人で過していた日だった。「よし、今日はポトフを作ろう。」ポトフは調味料を殆ど使用しないでも出来る料理だ。肉を香草(今回はパセリ)で煮込み、その後にキャベツ・ジャガイモ・人参・玉ねぎを入れ、グツグツ煮込む。味付けは塩コショウをほんの少々のみ。
味見した。「うーん、イマイチ味がしないなぁ。」肉は牛脛肉・鳥の手羽先を使用したので、確かにあまり旨味は出ない。そこで冷蔵庫にあったハムを少し切って入れてみた。時間を置いて、味見。「..味が薄い...」調味料を入れずに作る事を目標にしていたので悩んだが、仕方なくブイヨンを1個だけ入れた。
出来上がりを息子と2人で食べる。「おいしい?」息子に聞いた。息子は無言でニヤリ。そして頷いた。これは、息子なりの気遣いだとすぐに感じた。本当に美味しいと思っている時は、聞かなくても「美味しいよ~!」と言う事はよく知っている。「そうか....」でも自分ではそこそこ美味しいと思いながら食べていた。
妻と娘が帰ってきた。妻はすぐに飲み会に出かけた。僕は娘にポトフをついであげた。娘は一口食べるとあっさり「美味しくなーい。いらなーい。」何とまぁクルーン並みの剛速球な答えだろうか
T_T。(でもそういう所は僕に似ているので文句を言うつもりもサラサラないのだが)冷蔵庫に買いだめしておいたミニハンバーグを焼いてあげた。実に美味しそうに食べる。一口食べさせてもらって『こんな化学調味料の味そのもののハンバーグに、俺のポトフは負けるのか...』と少しセンチメンタルな気持ちになった。(自分で書いていて気持ち悪い)
次の日の朝(月曜日)、妻が食べながら話をし始めた。
「ねぇ、このポトフに幾らかかったの?」(妻)
「1500円位かな。」(僕)
「...高!ねぇ、調味料何か入れたの?」(妻)
「いや。塩コショウ位だね。」(僕)
「...ねぇ、○○(娘)は食べなかったでしょ。」(妻)
「うん!!」(僕)
「そりゃこんなに薄味だったら食べないよ(笑)ねぇ、味付けしていいかな?何を入れたらいいと思う?」(妻)
「レシピにはカレーとかトマトを入れてもいいって書いてあったよ」(僕)
「...ふーん、分かった!」(妻)
その日の深夜、帰ってきて鍋の中を見ると、見事なトマトベースのポトフが出来上がっていた。早速一口。!!!悔しいが、メチャメチャ美味い!!!でもトマトだけではないな、入れたものは。。。。
次の日の朝、妻に「凄く美味しかったよ。トマトは便利でいいよね。他に何入れたの?」と聞いてみた。
妻はニコッとして「コンソメ2個だよ~ん♪」「あれ~っ!?コンソメ嫌いっていつも言っているじゃん」「あはは。パパの作るコンソメ料理は、コンソメスープとか、味がコンソメだけだから嫌いなのよ。こうやってトマトとか他の物と一緒にコンソメを使うのは全然嫌いじゃないよー♪」そうなんだ。結婚してかれこれ8年以上になるが初めて聞いた。はよ言えっちゅうの。でもそんな事はどうでもいいのだ。前日の夜に美味しいと感じた正体はコンソメだったのだ。食材だけの自然の味が、コンソメに負けた。悔しいが、今回は負けを認めよう。でもオヤジの食に対する挑戦(脱!化学調味料)はこれからも続くのであった。おしまい。

2010年12月3日金曜日

Candy Dulfer♪ ~我が家のDancing Time Music~

 今回は、僕のTwitterの背景にも使用しているCandy Dulferの事を書こうと思う。我が家では、部屋に音楽が流れると思わず子供達と共に思わず踊りだすアーティストが2人いる。その内の1人が、このCandy Dulfer である。彼女は大概のCD店・音楽サイトでJazzとカテゴライズされている。でも僕はそう思っていない。ジャンルで表現しきれない音楽・超越した感覚・あえて言うならFuncky Dance Music である。 彼女の音楽との出会いは、3年前?の自宅近くのジャスコ内にあるTowerRecord店での視聴コーナーだった。店が絶賛していた『CandyStore』という作品を視聴した僕は、「こりゃええわい!」と即買いした。白人美女にも関わらず、何とも黒人を思わせる腰に来るノリ。Jazzなんてスノップに軽く表現できない深いインストロメンタルの連続。いやいやこりゃたまらん♪と、それ以来すっかり愛聴盤になった。昨年発表された『Funked Up!』では、少し落ち着いた表現も多くなったが、それでも彼女の魅力であるFuncky魂は健在だ。(でも、こうやって書いていると、僕の音楽生活にはCD店がかかせない。amazonなんかの「ネットでポチ!」なんて繰り返しじゃ、絶対知り合えない音楽だからね。やはり店のお奨め視聴コーナーは重要ですよ) まぁ理屈こねても仕方ないので、後は聴いてみてね♪という感じだ。彼女の音楽を聴いて、嫌いな人はまず少ないでしょう。Jazz好きよりも、むしろ黒人音楽好きな人にお奨めしまっす。


娘の愛らしい作文

一昨日、僕の妻から「ねぇねぇ、これ見て」と1枚の印刷物を見せてもらった。
それは、僕の娘(小学2年生)の学校からの学級通信だった。その中に、その2日前ほどに行われた持久走大会について娘が書いた作文が載っていた。以下、原文のままである。

「じきゅうそうで30ばんになったよ」
わたしは、じきゅうそうたいかいで30ばんになりました。わたしは、お母さんに「35ばんいないに入ったらコメダコーヒーのシロノワールを食べさせてあげる」と言われました。わたしはそのために、かみさまに「いっしょうのおねがいですから、じきゅうそうで35ばんいないに入らせてください」とおねがいしました。お母さんにほめられました。

僕はこの作文を見て、何とも愛らしい気持ちになった。たかが外食のお菓子に「一生のお願い」をする娘の気持ちを感じ取ったからだ。娘は決して運動が得意な方ではないし、器用とも言い難い。しかし娘は娘なりに一生懸命やっている事は近くで見ていてよく分かる。水泳・ピアノ・鉄棒・自転車・持久走・勉強・妻の実家のお手伝い・etc。理由は何であれ、何かを真剣にしているときの娘の目は輝いている。親として甘いかも知れないが、僕にとってはその事実で充分なのだ。どんな結果であっても、僕にはそれがとても大きな成果に見える。子供に恵まれた事を、本当に感謝している。僕は幸せものだ。

ありがとう。またいっぱい遊ぼうね。dear my flower