いきなり哲学的になった。でも最近、ふとそんな事を思ったりするのです。それは今年の5月に義兄と話をした時の義兄の言葉が強く印象に残っているからです。
義兄は乗馬場を経営しており、馬の売買で全国フットワーク良く飛び回っている。乗馬はヨーロッパが盛んなようで(発祥の地なのかな?知らないがorz)年に1,2回ヨーロッパにも行く。いろいろ話しているうちに、ドイツでの経験談をいきなり話し始めた。
「乗馬の大会が行われたので観に行ったんだよ。ある騎手が好きでね。その騎手を応援していたんだよ。結構業界では有名な選手なのよ。ところがさぁ、その選手が落馬して失格になっちゃった訳だ。大会を見終わった後、隣で観戦していた人に話しかけてみたのよ。『○○選手、失格して残念でしたねぇ』そうしたら、その人何て言うかと思ったら『○○?知らない。選手の事は別に興味がない。私はただ単に乗馬という競技を観に来たんだ』と。ビックリしたよ。ドイツの人って割とそういう人が多いんだよ。要するに、何が流行っているとか、何が有名だとかあまり気にしないのよ。話をしていてもそういう発言が多いよ。『自分が今研究している事が少し理解できたので嬉しかった』とかさ。人にどう思われているとか気にしていないみたい。普段の休日の過ごし方もおとなしい人が多いよ。自分の家でゆったり過ごす人がね。別に旅行とか頻繁に行かないみたいだし。」
当然国民性もあるのだろうけど、何だか少し共感したな。僕も人からどう思われているとかあまり気にしなくなったし、どこか有名な場所に遊びに行こうとか以前より思わなくなったから。昔は違ったよ。流行りはチェックしないといけないとばかりに追っていたし、東京大好き・レジャー施設大好き・派手な遊び大好き♪って感じだったね。必ず会話ではギャグで落とさないといけないかのような使命感(笑)もあったし、人から注目を浴びたいから人の反応も気になっていたもんな。だからいつも焦燥感があった。うまく言えないけど。まぁ「大人になった」と言ってしまえばそれまでだけど、今毎日が楽しいもんね。別に何か楽しいことを見つけようなんて努力はしてないよ。家族と一緒にいたり、本を読んだり、散歩しながら周りの風景を見たり、自分なりに仕事したり。飲み会や旅行も当然好きだけど、”たまに”で十分だもんな。そんな行事より、もっと日常の些細なことへの楽しさを知ったのかな。
幸せって、こういう事なんじゃないかなって思う。別にお金持ちになりたいとも思わないし、何か物に満たされていたいとも思わない。普通に地道な生活が営めればいい。毎日の積み重ねの中で、自分が変わっていく姿を自分で感じる事自体が楽しい。こういう幸せを多くの人が分かち合える事が平和に繋がっていくんだと思うね。貧困や格差は無くしていかないといけないね。
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