2011年6月13日月曜日

循環

原発問題について少し書こうと思う。ちょっと視点を変えて。
冷却水の循環がずっと必要だと語られていたよね。もう建屋も格納容器も破損した(圧力容器も破損しているが)状況では、その冷却水循環も無理になったようだが。なので今放水している水は、ダダ漏れな状態になっており汚染が外部に溢れる危険性を今も秘めているわけだが。しかし循環は冷却水だけではなく、『経済的』にも非常に重要な論点だと思うのだ。何故なら脱原発を実現するためには、それに代わる雇用の代替産業が必須だからだ。エネルギーの代替だけでは論議が不十分だと思うのだ。

ツイッターのTLを見ていて、特に福島県民の方々の中に「脱原発」の動きに醒めた意見を投稿する方々がいる。「放射線量は福島県全域が高いわけではない。なのに福島を一括りに語るのはやめろ!」「それにぶっちゃけここで生活してきたんだ。ならば生きていくためにどうすればいいっていうんだ!?」「避難しろっていうけど、そこで仕事があるのか?」などという気持ちなのだろう。僕も福島県民だとすると、そういう気持ちになるかもしれない。なので福島を一括りに語るのはやめたほうがいいよね。

では、実際に放射線物質に汚染された地域の場合はどうだろうか?原発で働いている方々もいるだろうし、農業や漁業に従事している方々もいるだろうし、一概に「避難せよ」「もう食べれない」「原発反対!」なんていう言葉を受け入れろとは言えないよ。戦争を体験した世代は貧しい時代を過ごしてきたので「少々の汚染なんてとやかく言うのは贅沢だ」なんて思っているかもしれない。

だから結局は「代替」を用意しないと話が進まないと思うのです。仕事しかり、住む場所しかり。そしてその選択は正しい汚染の数値を提示し乳幼児における危険を示した上で、自由選択という事になると思います。僕は原発は代替エネルギーを用意しながら少しずつ廃止すべきだと思うし、子供は避難すべきだと思うのだけど、その意見を押し付けるのはやはり酷なのではないかとも感じる。難しいよ。でも時間かけてもみんなで努力すべき事だよね。

岩手・宮城の被災者で、仕事を失った方々はまた別だ。彼らこそ代替産業を考えなければならない。しかしそれは地元にお金を自由裁量で落とさないと、他県業者がその復興費用を持って行ったら意味ないからね。なので高橋洋一氏が朝生で語っていたように「とにかく権限とお金をそのまま地方に渡して、後は責任が俺がとる!という政治主導が大切」という言葉につきるんじゃないかな。つまり復興に充てられたお金はその地方を循環するものにしなければならない、という事。

原発一つ考えても、今までのやり方を変えていくのは大変だね。でも脱原発は今がチャンスなので大方針を掲げて、原発従事者や被災者の気持ちを重んじながら少しずつ変えていく事が大切なのではないかな?と思います。6.11の脱原発デモを観ながら、その動きに賛同しつつもちょっと複雑な気持ちになったので書いてみました。うまくまとまらなかったけど。

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